楽器が上手くならない方法

以前から、「楽器を吹いてる」というより「楽器に吸われてる」んじゃない?って主体性の無い演奏に対して思うことがあったんだけど、どうやら「楽器」っていう「道具」との関係性にも原因があるのではないか?と思って。
これは、某ブログにも書いた「愛着」についての話。

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今の道具って昔に比べて、どうも愛着が湧かない、新製品にもワクワクしないってなんでだろうと考えていたんですが。
昔のカメラやオーディオや楽器と違って、結局「パソコンの機能の一部」みたいなモンだからかなぁ。

i-podみたいなオーディオにしても、カメラとかPSPみたいなゲーム機にしても、見た目が違うだけで中身は一緒みたいなもんでしょ?
「音楽を聴くためだけの小さなパソコン」
「写真を撮るためだけの小さなパソコン」
「ゲームをするためだけの小さなパソコン」
便利なのか不便なのかもわかんないし、愛着を持って長く使うに値するほどのものかなぁ。

それこそ毎日肌身離さず持ってる携帯電話だって、もう少し愛着が湧いても良さそうな物だけど。

「パソコンの機能の一部」みたいな携帯端末のあらゆる機器からは「名機」と呼ばれてヴィンテージ価値が付いたり、長く使う事によって使い手との間に新しい関係が出来ることは無いんじゃないか。
たいていは、新製品の方が良いに決まってんだもん。

それでは道具を「使いこなす」「駆使する」といった事に頓着が無くなっちゃうんじゃないだろうか。
当然、自分だけの新しい使い方なんて考えもしないだろうし。

だんだん道具に「使われる」ようになっちゃうんだ。

作ってる人は頭の良い人かもしれないけど、使ってる人は馬鹿になるよなぁ。

昔に比べてパソコンや携帯といった道具に対する「依存度」が高い人が増えたって、そういう事なんじゃないのかなぁ。
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ようするに、付属した分厚いマニュアルに書かれた事の中でしか道具と付き合えない人になっちゃうんじゃないか?ってこと。

昔のシンセサイザーって小さなツマミがびっしり付いたような楽器でも、マニュアル8ページとか。信じられる?
後は使う人が使いながら自分でモノにしろってことでしょ?
でも、この不親切さが「道具との関係性」に大切なんじゃないのかなぁ〜

付属のマニュアルを読むんじゃなくて、いろんな音楽を聴いたり、いろんな本を読むことが、その道具を自分なりに使いこなす事にとって大切だって事を先ず教えなきゃならない人が、今多すぎる気がする。
「経験したいろんな物事を関連付けて自分のやっている事に生かす」
ってのがオリジナリティだと思うんですよ。