ここでも書こう「カレーが嫌い」

それでも作る


もう一個の日記に「カレー嫌い」の話を書いたのだけど、どうも納得がいかないのでコチラに長々と書こう。
世の中には「カレーが好き」という人が多い、多すぎる。だから「嫌い」という「へそ曲がり」では断じてない。ただ「好きだ好きだ!」と声に出して言う人に比べたら「好きじゃない」というのは確か。他人を基準に考えた場合でも「カレー好き」では絶対無いと思う。
「嫌い」と言うと「え〜?なんで?美味しいのに」と言われる事がよくあるけど、そんな事はわかっているのだ。喰えば美味いと思うのだ。「食べて美味しいと思うなら好きなんじゃないの?」と思うかもしれないけど、それは違う。要するに「好き・嫌い」に「味」は関係無いのだ。
俺の中で「好き」と言えない理由、というか「好き」と言える条件。
・いつでも食べられるか
「気分が」とか「体調が」とかに左右されず、それこそ3食カレーが続いても平気か?というハナシ。「好き」と言い切るなら当然。俺には無理。
・わざわざ喰いに行くか
美味しい店を本で調べたり、人から情報を「自ら得て」カレー代以上の交通費をかけてでも足を運ぶか?というハナシ。これも「好き」なら当然。俺には無理。
・ならんででも喰うか
「めんどくさい」とか「バカバカしい」などという感情を「好きなもの」に持ち込むのは言語道断。これが出来ないくせに「好き」と言うのは甘いと思う。俺には無理。
・必要とあらば何件もハシゴできるか
たとえば、旅などに出て「名店」と言われる店が何件もあるような所に行った時「値段同じで良いですから量少なくして」などの方法を取ってでも、食べ歩くか?ようするに「喰っとかなきゃ」って欲求が強いかどうかって事。俺には無理。
・自分で美味いカレーが作れるか
ようするに「分析能力」の問題。美味しい店に何軒も行っているなら、それが「どのように作られているか」ということが気になるはず。本当に作れるかどうかの問題ではなく、料理の技術が無くてもレシピぐらいは作れるようになるはずだ。ただ「美味い、美味い」と喰ってるだけで「好き」と言えるなら、俺だって「カレー好き」だ。
・カレーを仕事にできるか
店を開くのもいいし、研究家や評論家になるのもいい。ようは「カレーに関して自信がある」かどうか。これも本当に仕事にするかどうかではなく「一生をカレーにかける」ぐらいの覚悟があるか。俺にはそんな覚悟全く無いね。

つまり「カレーのためにあらゆるものを犠牲に出来るか」という事なんだけど、俺には絶対無理。ならば中途半端は良くないので、あえて「嫌い」と言ってしまおうという訳だ。そうでなければ真剣に「好きだ」と言っている人に失礼。
それから一番の問題は「好きだ」と言ってしまうと、本当にカレーの事を真剣に考えて「好き」と言っている人と世の中の目は「並列に見てしまう」という事。
軽々しく「好き」とは言えないのだ。

逆に言えば、俺が「好き」と言うものはこの条件を満たしているものという事だ。