身も蓋も無い話

両方ある


最近「仕事」について、つくづく思う事がある。
というのも、俺の周りにも将来的には「自分の好きな事」で「クッテイキタイ」という若い人がたくさんいたり。(そういう人の中には俺にアドバイスを求めるって「冒険」をする人までいます)
それとはまったく逆で普段は別の仕事をしながらも、そこで得た「報酬」で贅沢に趣味を満喫している人もたくさんいて。
両方の人を見ていて思うのでありますが・・・
「好き」とか「やりたい」って「だけ」では「仕事」にはなりませんね、っていうか「しない方が良い」絶対。
もちろん、本人の努力で多少はなんとかなるのかもしれないけど、ほとんど無理。
で、結局「仕事に必要なモノなにか?」っていうと「向き・不向き」これにつきます。
どれだけ「好き」でも「向いていない」ものは仕事にできんのです。
機会があるたびに書いてるけど、以前サラリーマンをしていた事があって。
そこは元々バイトで入ったんだけど、社員に登用されてバイトを使う側になって、最終的には営業所長になって・・・
って、考えると「向いてた」んだと思う。あのまま残っていれば給料も役職ももっと上がってたと思うもん。
ただ、好きでもなんでもなかったし、全然楽しくなかったけどね。
むしろ「イヤでイヤでしょうがなかった」ぐらい。でもバリバリ(そんな一生懸命でもなかったけど)やって社長たちから評価されて・・・結局「仕事」ってのは他人に認められて初めて「ナンボ」って事か。
結局、後から考えたら「向いていた」サラリーマンを辞めて、自分から希望して移った仕事は散々だった。自分としては「やりたい」と思って始めた事だったのに。サラリ−マンの頃より張り切ってたつもりだったのに。その頃「仕事」と「向き・不向き」の関係について気付いていればな〜
たぶん、どんな仕事においてでも、なんらかの「業績」や「成果」をあげてる人ってのは「向いてた」からじゃないかな。
逆に言えば「向いてる事」であれば、たとえイヤな事だろうと調子の良い・悪いがあったとしても「そこそこ」の事はちゃんと出来てしまうんじゃないのか。
本人は自覚していなくても「長く続いている事」って、それだけで「向いてる」と言えるかもしれない。
そういった意味で、たとえば「音楽がものすごく好きで知識も豊富、発想も豊か」であっても「コツコツ地道に練習するのイヤ」であれば「演奏家には向いてない」って事。趣味なら結構ですが。
「音楽がものすごく好きで知識も豊富、発想も豊か」の後に「だけど」で続く言葉はいくらでも思い付くよな〜
「思ってる事が的確に伝えられない」とか「人前に出るのが苦手」とか。
たとえ「知識や発想」って「その人の中にあるもの」が申し分なかったとしても「他人の言ってる事を理解する力が乏しい」ってのは「コミュニケーション」が重要な演奏家には致命的だし。
結局、それ全部「向いてない」ってこと。
ましてや「知識はそこそこ、発想は平凡」って「ただ好きなだけ」じゃあ「仕事にしよう」と思う方がオカシイ。
ようするに「向いてる」ってのは、その「仕事の神様」に愛されてるかどうか?って事なんだろう。その上で「好き」であれば「相思相愛」で言う事ないんだろうけど。
もちろん「自分に向いて無い事」を見極めて諦めるのはとても残酷で厳しい事だと思う。
でも、誰にだって「向いてる事」ってのは必ずあるはずだから、それを探して見つけ出して、それを仕事にするのが一番無理がないハズなのだ。
その為には冷静に自己分析することが大切なのではないか。
たとえば俺の場合、今までそれなりに「成果」をあげる事ができた、ようするに「向いてる」と思える事って「考えて積み上げて結果を出す」みたいな事が多い。サラリーマンの頃にやってた仕事もその類。
直感のヒラメキで「これだ!」みたいな瞬発力はあまりないし、たしかに性格も理屈っぽい。
ということは「即興」みたいな事は「向いてない」のだ。
その場その場で対応する事であっても、これまでの経験であったり、あらかじめ想定しておいた事であったり。要するに「知識や経験を応用する」性格だし、その為の準備をするのが「好き」なんだな。
たぶん、こういった最終的な目的じゃなくて「準備」みたいな事を「好き」だと思えるって大事なんじゃないか?
それから「考えて積み上げて結果を出す」のが得意だと思っているという事は「他人の仕切りやダンドリにイライラする」という事でもあるわけで。割りと「人に任せる」よりは「自分でやっちゃった方が早い」ってサッサとやる性格だしな。
ということはですな。
俺は前々から「演奏家」としての可能性には疑問があったんだけど「向いてない」んだな、憧れるけど。
その分「曲や譜面を作ってブラスバンドを仕切る」ってのは実に「向いてる」な、俺には。
で、ここで書いている「向いてる・向いてない」の事を別の言葉と勘違いしてる人がいて、自分が「やりたい」と思ってることがイマイチ「パッと」しないと
「僕って才能ないんですかね?」
って言う人がいるけど、そんなの「向いてない」だけだと思う。
ただ、「才能の無さ」は「努力」でカバーできるけど「向いてない」ってのはもっと先天的なもので致命傷。諦めるしかないのだ。
で、「向いてる・向いてない」を判断するひとつの基準に、自分でやりたいと思ってる事にもかかわらず「ホントは今やった方が良い事なのに後回しにしちゃう」って他に逃避するってのがあると思う。
仕事ならイヤでもやるもんな。「逃避してる先」にこそ「向いてる事」があるんだよ、その人は。
それに「才能」ってのは、その「仕事の神様」に愛されてる人間だけが発揮できる力なんだから、自分の「やりたい事」ですら真剣にならない人が軽々しく言う事ではないと思うぞ。