いまさらですが

bousisensei2007-10-20


NHKで何度も流れていたので「千の風になって」を初めてじっくり聴きました。
う〜む、この曲はどうなんだろう?
とりあえず「あざといなぁ」というのが最初の印象。
ああいったシンプルなメロディをテノール歌手・秋川雅史という圧倒的な歌唱力で聴かせる。もう、それだけで「感激屋さん」にとっては涙腺がユルクなるんだろう。
「詩の世界」置いといて。
で、じっくりテロップで流れる「歌詞」を読みながら聴いてみると、俺はこの歌を「こんなに歌の上手い人」が歌うのはミスマッチに思えてしょうがない。
おそらく、カラオケなんかでも歌われていたりするんだろうけど「ウケ狙い」の「変なモノマネ」になってしまうのがオチじゃないか。
「あざとい」作戦は成功してるのかもしれないけど、俺はもっと「とつとつとした」それでいて「直接的に詩の世界が飛び込んでくる」そんな歌い手が歌えばもっといいのにな、と思った。
「曲」の方はそんな感じなんだけど、じゃあ「詩の世界」はどうかって言うと・・・
いまひとつピンと来ないのだ。
言っている事はわかる、良い詩だとも思う。でも、なんかピンと来ない。
それは「なんでか?」って考えたら。
結局、この詩は書いた本人が自分の事を歌ったものでは無いということ。
「私のお墓の前で〜」と始まるように、この詩の一人称「わたし」は死者なのだ。それは無理があるだろう。
ようするに「亡くなった人はこうであって欲しい」という詩ではないか。当然「ホントにそうなのか?」と思ってしまう。亡くなった人は「墓の前で泣いてくれ」と思ってるかもしれないじゃないか。
まるで「死人に口無し」、生きている側の勝手な都合だ。
亡くなった人は、それまでがんばって生きて来た分、お墓に入って休めば良いじゃないか。何も風になる必要なんかない。「いつもそばにいる」って事が言いたいんだろうけどね。ホント生きてる側の勝手な都合。
休ませたれ、自分で会いに行け。
俺たちには「お墓参り」って習慣があるじゃないか。「お墓には亡くなった人が休んでいる」と教わって来た訳で・・・それを「墓参りなんか必要ないよ、俺ここにいないし」って言われてもなぁ。
そんな「死者のつぶやき」(あくまでも生きてる人が勝手に作った仮説)をテノールの美声で朗々と歌い上げられてもなぁ。
ミスマッチでピンと来ませんよ。

と、書いてはみたものの、ヒット曲に対して個人ブログとはいえ「あまりにも否定的な主観」ばかりで、この曲に思い入れがある人に悪いかなと、ちょっとだけ思いまして。
これだけヒットしてるというのに、俺が「あまりにも不自然」とピンと来なかった「詩の世界」が作られた背景を調べてみました。モチロン自分の為に。
NHKなどでは作者不詳となっていたけど、ちゃんと調べてる人がいるんですね。

『千の風になって』の作者
なるほどね〜「お墓に行きたくても行けない人を慰める詩」でしたか。戦時中という時代背景を含めて、この「詩」が生まれてきた意義がわかるような気もします。
と、なると尚更、この曲が「違う意味合い」で受け入れられてヒットしてるのはどうか?日本語訳詩もあまり良いとは思えないなぁ。
とりあえず、日本人なら墓参り。