「関係性」について

bousisensei2007-11-08


哲学的SFコミックの傑作「プラネテス」の主人公・星野八郎太は「宇宙に俺と関係の無いものなんて何もないんだ!」と力強く言い放った。
そうなのだ、この世の中、すべては「関係性」で成り立っているのだ。
どれだけ「一匹狼」を気取って、一人で生きて行こうとしている人だって、世間と「そういうスタンス」つまり「関係性」で生きているに過ぎないのだ。
また、いろいろな物事、どんな些細な事であっても「なんでこうなった?」って考えると「突然」なんて事はまずあり得なくて、様々な理由や要因が重なっての結果って事なんだけど、これも「関係性」と言えると思う。
で、ハッと思ったんだけど・・・
結論から先に言ってしまうと「小島よしおはスゴイ」という話なのだ。
彼はすべてを「そんなの関係ねぇ」と言い捨てる。
それが「オチ」だと言ってしまえばそれまでだけど、実は「オチて無い」じゃないか。
たとえば他人から「さも関係ありそうな話」を振られて、それに対してワンクッションあった上で「そんなの関係ねぇ」って流れなら「オチ」にもなるだろうけど、
「突然自分から何かを言いだす」→「そんなの関係ねぇ」って・・・メチャクチャじゃん!
「何言ってんだよ?」「知るか!」って話じゃない?
どれだけ「ワケのわからない事」を言っても、それと「関係がある」って話なら、なんらかの説明や無理矢理なコジツケが笑いにつながる場合もあるだろうし(実際「ダウンタウン」の松ちゃんが「ガキ使」のハガキコーナーでやってる事ってそれだよな)、「関係性」について証明することが立派な学問として成り立つ場合もあって、人はみんなすべての物事に「どんな関係があるのだろう」って興味を持って生きてると言っても過言では無いかもしれない。
ところが「関係ない」ってそれこそ何にでも簡単に言える事で、ただ「それを言ったら話はオシマイ」って事だし、それはもう「おもしろい」とか「おもしろくない」っていう「人の興味や関心」で語るレベルでは無いのではないか?つまり「Aとは関係ない」と言い切るという事は「Aに興味を持たなくていい」と言っているようなものという事だ。これを小島よしおは「AもBもCも・・・」とすべて「関係ない」と言い続けているのだ。「他の物事に興味を持ったり、おもしろいと思う必要などない」という事か?
しかし、小島よしおは「おもしろいかおもしろくないか」のお笑い芸人じゃないのか?
だとしたら、小島よしおは「お笑い」から「おもしろいかおもしろくないか」の要素そのものを「関係ねぇ」と排除しているのか?
つまり、もう「ネタ」として評価する次元では無いという事か?
だとしたら、ちょっとスゴイ。ある意味「深い」
「おもしろい/おもしろくないではない!五感で感じ取り、そして考えるのだ!」
もし、小島よしおが自分の芸に対して、そう言ったとしても、驚く事はないのだ。むしろ今まで彼を「つまらない」と言っていた人は自分の浅はかな見解を恥じるべきかもしれない。
それほどまでに、テレビに出てくる「お笑い芸人」というカテゴリーを超越した存在ではないだろうか?
この世にある「森羅万象」はすべて「関係性」で成り立っているという前提で考えた場合、何もかもを「そんなの関係ねぇ」と言い放つ小島よしおに「一発屋」で終わらない可能性を感じるのだ。




                   嘘!
とにかく「なんでテレビに出れるか」全然わかんないんで、無理矢理納得できる理由を作ってみました。
あれは「ネタ」でも「ギャグ」でも「芸」でも無いんじゃないのか?だとしたら「一発目」もまだ出ていないって事にならないか?
「不発屋」で終わるのか?