違うのはわかる

bousisensei2008-02-29


去年ぐらいからですか?「ちょっと高いドーナツ」が流行ってるの。
まぁ、この「ちょっと高い」ってのも、あくまでミスタードーナッツの100円・120円ぐらいのヤツを「普通」とした考え方なんですけどね。
でも、とにかく「ドーナツっつたら、そんなもん」ってのが、我々日本人にとっての基準になってるんじゃないすかね?
で、「ちょっと高いね」って何十円か違うのとか「お〜ずいぶん高いね」って3倍ぐらい違うのとか、ちょこちょこ試したワケですが・・・
タイトルにもあるように「違うのはわかる」んですよね。
ただ、ねぇ・・・
正直、わかりません!
「美味くない」とは言わん、ようするに「見合ってるのか?」という事ですね。
もし、何の躊躇もなく「美味い!」という人がいたら、ちょっとイジワルな事を聞いてみたいのですが「ちょっと手に入りにくい物」に「高いお金を払って」って「ありがたみ」が「味覚のジャッジ」に大きく影響してないですかね?
いつも行列しているお店にならんでる人って、大半が「実は一度も食べた事が無い人」だって言うしね。
つまり「美味しいからならんでる」じゃなくて「美味しいらしいから」でしょ?
で、おそらく一度食べた人は、こう思うでしょう。
「たしかに、美味しいとは思うけど、あれだけの値段払ってならんでまで・・・」って。
ようするに「見合ってない」という事ですね。
「不味いからもういらない」じゃなくて「そうまでして」ってヤツ。
何かを判断する場合規準となるのは、常にこの「見合ってるかどうか?」なんだと思います。
「そうまでしてでも」って人もいるでしょうから。
ようするに「見合う・見合わない」なんて個人の思いっきり主観。かつ、個人の中でも大いに判断基準に矛盾が生じる場合も多々有ります。
たとえば、俺は回転寿司に行くぐらいなら回数を減らしてでもちゃんとした寿司屋に行きたいと思う訳で。
で、なんでもそういった嗜好かと言えば、高いワイン呑むより、安いワインをたくさん呑みたい人でもあったり。
ようするに「デイリーユース」はケチって「たま」で良い物はちょっと奮発する、といったビンボー臭い傾向にあるみたいなんですが、考えようによってはこれもちょっとオカシイか?とも思えるのです。
自分にとって毎日どうしても必要なものこそ、ちゃんとしたもの。たまにしかいらないものは少々いい加減な物でも良いのではないか?とも思えるのです。
考えれば考えるほど、ワケがわからなくなる話ですが、結局「高ければ良い、安いと悪い」では無いという事に気付けば良いのか。値札ではなくて内容って。
で、それが「自分にとって」見合ってるか、という事なんですかね?
見極めるべきは「商品と値段」が見合ってるか?ではなくて、「自分にとってその商品が見合っているか」という事なんでしょうね。
で、その商品が自分に見合ってるかどうか?ってのが、結局「違うのがわかるか?」という事なんでしょう。
「なんでも一緒」ってなら、安モンでも十分なワケですから。
でも、違うのがわかったからって、見合ってるかどうかわからないんだから、俺にとってドーナツは100円ので十分という事ですね。
むしろ100円であのクオリティーの方が素晴らしいとさえ思う。
ちゃんと喰ってから判断してるんだから「わからない」って書くのも平気。
「世間とズレてる」とか心配しなくてもいいのだ。