思ってたのと違う!

bousisensei2008-05-07


とうとう今日で30代もオワリです。
つまり、明日で40になるのです。「大台」ですわ、もう「いい大人」ですわ。
だがしかしですよ、強烈に
「なんか違う!」と思うわけです。
もちろん、昨日今日急に気がついたわけもなく、数年前から薄々気づいていたのです、今こうやって、こんな状態で40歳を迎えるだろうって事は。
それでも、子どもの頃。まだ「40歳」っていうのが「すごい大人」だと思ってた頃。自分がその歳になる事が想像も出来なかった頃、ぼんやりと考えていた「40歳の俺」ってのは、もっと立派な人だったような気がしますね。
誰だってそうでしょ?
自分がある程度歳をとって、たとえば社会に出てから出会った40歳の人ってのは、歳の差があったとしても、ある程度「対等」な関係でもあったので、そんなに意識していなかったと思うんだな。
それで、ズルズル来てしまったか。
それに、青年が大人の年齢に移り変わっていく姿を見ていたりもするわけで、今「いい年」の友人も最初から大人じゃなかったわけなのです。
じゃあ、「40歳立派な大人説」の幻想はどこで見てたか?
自分にとって出会った時から「大人だった」最初の人は誰か?
というと、それはやっぱり父親なんですね。
俺が鬼頭家の次男として生れた1968年、ウチの父親は32歳で、さらに言ってしまえば5年前に兄貴が生まれた時から「お父さん」をやっていたのです。
それで、俺が生れたのと同時に、それまで家族3人で住んでいた名古屋市から、ベッドタウン岩倉市に新しく作られた公団の団地に引っ越したのです、2LDKの。
小学校に上がる前は特にたくさん遊んでもらっていた記憶があるのですが、それって父親の30代半ばから後半にかけての事なんですよね。
当然、今の俺より若いって考えると、その頃父親が「おもしろい」と感じている感覚や「遊ぶ」という事に対するスタンスが、なんとなくわかるような気がするのです。俺自身もおかれている立場は全然違うとはいえその年齢を経過してきているので。
毎週「趣味」の方の写真を撮りにいったり、家でレコードを聴いたり。
ちょうど、俺が鬼頭ブラスを立ち上げて、仲間とワイワイ楽しくやってきた時期と同じなのですね。
で、岩倉の家には、俺が10歳まで住んでいたんだけど、そこから名古屋市にまた引っ越したのですね。今回は家を買って。
その時、父親は42歳という事になるのかな?それでも、ちょっと前、それこそ40歳の頃には「家買うか〜」とか考えていたんでしょう。
当然その頃の、父親の事。格好とかやってる事・言ってる事ってのは記憶にあります。
その頃、兄貴は中学高校と私立の学校に行ってました、数年後俺も同じ学校に入るのですが。
俺の父親の職業はフリーのカメラマンです。
すごいと思います。
父親はけっして「偉い人」じゃないし、俺も偉くなりたいわけじゃないけど、誰かに尊敬される人が大人なんだと思います。
今の俺の状態で、明日誕生日だからと言って、浮かれたり、祝ってもらう資格があるのか?
と、真剣に考えてしまうのであります。
まいったね。
たぶん、ここを読んでる若い人にはあまりピンとこない話かも知れませんが、自分の親のすごさは自分の年齢と照らし合わせると愕然とします。
で、俺自身もうちょっと早く、たとえば俺が生れた時の父親の年齢32歳になった時、その事に気づいていれば、と後悔しているのですね。