トンカチ歌自慢

bousisensei2008-05-26


先日書いた日記について「上手い・下手」の話をいろいろ考えているのですが。
というか、ここで一貫して書いている事でもあるのですが。
簡単に言ってしまえば「上手い」という事に魅力を感じないという事ですね。
正確に言うとすれば「上手いだけ」という事なんだけど。
果たして、そういった考え方をするようになった「俺のルーツ」ってなんだろう?と色々思い出してみたわけです。
で、「下手」という言葉でまず思い浮かぶのに、子供の頃に見ていた朝の子供番組「昆ちゃんのトンカチ歌自慢」というのがありまして。
たしか、オープニングのテーマ曲はこんな歌詞だったと思います。

昨日おぼえた歌だけど テレビでおぼえた歌だけど
下手でもいいから歌わせて
みんなみんな集まれ 自慢をしようオーオーオー
昆ちゃんの 昆ちゃんの トンカチ歌自慢

ハイ、また無駄な事に「俺のメモリー」使ってますね。
もちろん「下手でもいい」とは思っていないのですが「上手い・下手じゃない」ってのは大事だと思います。
「歌いたいんだ」ってのがあれば。
「下手な方がおもしろい」というのはあまりにも極端な言い方だけど「とりあえず上手い、でも歌いたい事がない」に比べれば、聞く側としては届いて来る物があるのです。
そもそも、音楽において「上手さ」が必要とされるジャンルとか場面ってのは案外少ないんだと思います。
「上手い事やる」みたいな「巧みさ」ではなくて、単純にテクニック的な「上手さ」の話です。
考えられるとしたらオーディションやコンクールで譜面に書かれた事を「どれだけ忠実に再現するか」って時ぐらいじゃないか?と思うのです。
モノマネが「どれだけ似てるか」とか。
つまり「上手さ」ってのは他人が優劣を付けるにあたって必要としているだけのものではないのか?とも思うのです。
もちろん、その判断基準というのも他人が決めた事ですし。
そんな「上手い・下手」に演奏する人が振り回されていると「上手い=良い音楽」「下手=悪い音楽」という勘違いも起こって来ないとは限りません。
そんな事言い出したら、世間の90%以上の音楽は「悪い音楽」になってしまいます。
そんなアホな。
実際、俺が小学生の頃とか「親が聴いていて」とかじゃなくて自分で選択して音楽を聴くようになった頃。
世の中では「ニューウェーブ」がブームだったのでラジオから聴こえてくる音楽はその類ばかりだったのです。
で、やっぱりそういった音楽からも多大なる影響を受けているのですね「音から」というより「姿勢から」
↓コレとか好きだったな〜!たしか小6の頃にラジオで聴いてシビレたね。

これを見て「下手だなぁ」ってのはナンセンス。
ハッキリ言って、楽器を買ってきた次の日に出来そうです、これぐらい誰でも。
だからと言って、楽器屋に走ってコピーして「ホラできた」って言っても何の意味も無いのです。
イデアやインスピレーションといった「思いつき」は真似してもしかたが無い、言い方は悪いけど「やったモン勝ち」
音楽にはそういう要素もたくさんあると思います。
だから、もっとハイグレードで高度な技術を求められる音楽であっても、それを一生懸命練習してそっくり同じように演奏できる事にどれだけ意味があるのか?と思うのです。
でも、みんなが好きな「上手い」ってそういうことでしょ?
ニューウェーブとクラシックみたいな音楽を一緒にするな!」って言うかもしれないけど、演奏する側はともかく、リスナーにとっては同じ事なんじゃないかなぁ。
「音楽を聴いて楽しみたい」という時に技術ってそんなに気にしてるだろうか?
やっぱりプレイヤー側だけのエゴじゃないか?「ここをもっと聴いて欲しい」って。
「上手さ」が必要とされるオーディションやコンクールってのは、本来オーディエンスに届ける以前のモノなんだから、そのままの感覚でお客さんの前で「技術の披露」をするのはどうか?と思うのです。
もちろん、最低限楽器をコントロールする技術ってのは必要で、その為の練習ってのはしなきゃいけないんだけど、その「最低限」ってのは何かっていうと「自分の表現したい事に必要な」って事だと思います。
やっぱり「やりたいこと」がはじめにありき。
「とりあえず上手くなろう」と何でも出来るようになって、でも取り立ててやりたい事がなくて。「長年やってきたコレでなんとかしなくては」と繰り出す超絶技巧からは、なにも届いて来ないと思うのです。
そういうのが、最初に書いた「上手いだけ」なわけです。俺のキライな。