小さい唄

bousisensei2008-11-14


はじめに断っておくけど、けっして悪い意味で「小さい」という言葉を使っているのではないのだ。
ただやっぱり、大きい·小さいを比べた場合、パッと思いつく範囲で「小さい方が良い」ってのはなかなか出てこない。
しいて言うならば「あの人はすぐ大きな事を言う」みたいな場合。
あれは「大きい事」が悪いと言ってる珍しい例だと思う。
けっして、それをしない逆が「小さい事」ってわけではないんだろうけど、今日書きたい事はまさにそれについて。
下北沢「lete」にて柴山一幸君のサポート。
同じくシンガーソングライターの徳永憲さんとのジョイントで、まずは徳永さんがワンステージ。
毎度の事ながらギター弾き語りというスタイルは「スゴイ!」と思う。
たった一人で舞台に上がって、1時間とか。
たしかにサックスなど管楽器も「ソロ」とか、クラシックにも「独奏曲」ってのはあるけど、それはあくまで特別なイレギュラーみたいなもので、あくまで「誰かとやる」ってのが基本だと思うのだ(ギターやピアノなど「複音楽器」の場合は多少意味合いも変わってきますが)
でも、弾き語りの人はそれが普通なんだよな。
いや、普通って言ってもやっぱりスゴイよ!1時間たった一人でお客さんを相手にするって、相当「度胸」がいるでしょう?
ある意味「開き直ってる」のかもしれないな。
で、今日思ったのは、唄を歌う人はあらゆる面で「開き直る」のが良いんだなという事。
共演した柴山君は基本「コンプレックス気質」な人だと思う。
といっても芸術家ぶりっ子にありがちな「見て!僕の弱さ」みたいなのとは違った「なにをそんな事で!」って事まで気にする「真性コンプレックス気質」なのです。
たとえば、小学生の頃に住んでいた家のトイレが「汲み取り式」だったらしいんだけど、それが理由で本気で「将来結婚できない」と思っていたらしい。
バカじゃないの?!
と、思うよね。
で、「結婚できないかも」と思うって事は、それだけ「結婚したい」と思ってたって事。
小学生の頃にそんな事を考えていた彼が、その後の人生、様々な「ささいな事」で「あ〜」となっていたのは想像できる話で・・・
以前は呑んでいたお酒をほとんど止めてしまった話や、ブログやネットをあまりやらないという話しも、全て失敗した経験が元だという・・・
おそらく若い頃は、虚勢を張ってみたりしたんだろうけど。
まぁ、それが最初に書いた「大きな事を言う」みたいな事だと思うんですね。
でも、自分を大きく見せようとすればするほど、見ている側は背伸びして震えているつま先が目について「小さいんだなぁ」と思うんだよね。
おそらく、今は年をとったってのもあって、そういった必要以上に自分を大きく見せるような事は、もうしないんだと思う。
つまり、ある意味「開き直り」
「コンプレックス気質」に変わりはないんだろうけど、そういった部分も含めての「自分」を良くわかってる世界観の唄を歌ってるんだと思う。
結局の所「大きな事を言う」というのは見栄とかウソ。
そうやって考えると、あえて「小さい事」と書くけど、その逆なんだから「真実」じゃないか?
「小さい」といっても昔の「四畳半フォーク」のような「せこい」とは違う。
虚勢を張る事無く、自分を強く見せようともせず「身の丈にあった」唄だからこそ「リアル」を感じるんだと思う。
思いつく範囲でも、夢のようなデカイ事ばかり歌ってる人ってたくさんいませんか?そのくせ心には何も響いて来ないような。
実際、人間何年も生きていれば「人ひとり」の大きさでも十分の説得力があるもんだ。
不覚にもリハの時にグッと来て涙が出そうになった事があった。
歌の人と一緒にやって、こういう風になったのは実に久しぶりで、自分でもちょっとびっくりした。
それと同時に「あ〜これは丁寧に演奏したいなぁ」と強く思った。
ここでたとえば、ただ自分の腕を自慢するような音をたくさん並べるだけの演奏なんてしたらダイナシだもんね。
本番前にも結構たくさん話ができて、その思いはさらに強い物になって・・・
「小さい唄」にささやかな彩を添える事が出来たと自負しております。