続・吹奏楽と私

わー久しぶりに201系

書きながら、いろいろ思い出したり・考えたりすることで、自分が普段から「もや〜っ」と思ってる事が明らかになることってありますよね。
今回、KABB!での北海道公演が決まって。今後、打ち合わせを進めていく上や、実際現地に行って「吹奏楽を心から楽しんでる人」というのにたくさん会うんじゃないかと思ってます。
そんな中で単にアンチという「斜に構えた姿勢」で、ただ「王道をハズす」ということをしても、ただの「色物」だし「心から楽しんでる」という人にとって不愉快なんじゃないかなぁ〜と思うのです。
ヘタをするとモノマネ芸人が特徴的な一部分を大袈裟に抜き出して笑いを取るような。真似をされる本人は不愉快だったり傷ついたり・・・そんな感じにもなりかねない。
てなわけで、いろいろ新らし目のものやら、それこそ「王道」とも言えるような「吹奏楽ラシックス」みたいなものを聴いて「自分とのスタンス」みたいな事をハッキリ確認しようかなと。
で、こんな懐かしい曲をみつけました。高校生の頃やったな〜

いまだに「定番曲」みたいで、中高生の演奏会の動画なんかもたくさん上がってますけど・・・
改めて聴くと・・・ギャグだなぁ〜(一生懸命取り組んでるみなさん、気を悪くしないでね)
「これでもか!」というほど王道の「吹奏楽といえば」みたいなフレーズのオンパレード。まるで、さっき書いた「特徴的な一部分を大袈裟に抜き出して」みたいな「ザ・吹奏楽」って曲。
それに、この「バーンズさん」って作曲家、ホントにアメリカ人ですか?
メロディがあまりにも・・・日本人好み過ぎる!というか、もう「クサい」の領域まで。
特にBメロの執拗に繰り返される3連譜の「ダッ!ダッ!ダッ!」ってフレーズ「演歌魂に火をつける」とでもいいますか・・・そういえば、ことさらここを強調してる指揮者とか見たことあるなぁ。
曲そのものは昨日書いた「美しいメロディがあって、壮大なハーモニーがあって・・・」に限りなく近いような気がするんだけど、なんだ?この違和感。
で、この曲についていろいろ調べてみた。

1981年にジュニア・ハイスクール選抜バンドとその指揮者ロバート・ホロウェルのために作曲され、カンザス州ウィチタ地区春の音楽祭で初演されました。

ここで、少し「はは〜ん」
で、バーンズさん自身も

親日家としても知られ、これまでに数多くの国内の吹奏楽団からの委嘱作品を発表している。来日して日本の吹奏楽団による自作曲の演奏の指揮を行うことも多い。

なんというか「なるほどね〜」という気がするんですね。
これは、演奏する人のために作られた「競技音楽」みたいなもんなんじゃないですか?だから聴いてもグッとこない。作曲家も「お客さんの方を向いてない」んですね、吹奏楽
さらにこの曲、日本では「コンクールの時間制限を考慮したテンポで普及した」そうで「後年バーンズ自身の指揮で録音されたものは実に落ち着いたテンポでした」とのこと。
なんだそりゃ〜コンクールの都合で作曲者の意図無視!それ音楽か?
いや、どうりで特に後半の木管楽器の「苦行のような早いパッセージ」こんなん中高生には「譜面を追う」ってのがやっとで「表現がどうの」ってレベルまでいかないよな。
そんな、作曲者の意図も汲み取らないで「無理矢理」早いテンポで演奏したものを審査することが「音楽コンクール」と言えるのか?
おかしい!絶対は無いかもしれないけど、マチガッテル!
もちろん、どの楽団もが無限に「やりたい放題」やったらエライことになるから「制限時間」ってルールもしかたないんだろうけど、なによりもそれが優先されるなんて!
ほら、やっぱりタダの「競技」だ。
そうやって思うと、その「実に落ち着いたテンポ」っていうバージョンが聴いてみたい。
カンザス州ウィチタ地区」っていうぐらいだから、案外「パット・メセニーの曲」みたいなイメージになるのかも。
これかな?

こんなに印象変わるのか!
いや〜びっくりした!
パット・メセニーとはちょっと違うけど、当たらず遠からず。がぜん「アメリカのメロディ」になってる不思議!
主旋律以外の、対旋律や細かいフレーズが「よりクローズアップ」されるからなんでしょうか?
3連の「ダッ!ダッ!ダッ!」もさりげないし、最後の方で木管が演奏してる16分音符のフレーズも・・・早いテンポのときは長い音で主旋律を吹いてる金管楽器に絡む「装飾音」みたいだったのに、ちゃんとひとつの「メロディ」として歌ってる!・・・ホントに全ての楽器がキュートでそれぞれの特性である「良さ」が活きてる。だからこそ、いろんなフレーズを演奏してたパートがシュッ!とユニゾンになった時の「集約感」みたいな部分も活きてくるんだな〜その「間」とか。全てがこのテンポ「ならでは」だと思う。
というかね、やっぱちゃんとこのテンポでやらなきゃイカンのです。バーンズさんはきっと日本人がブッ早いテンポで演奏してるのが悲しくて「後年」になってから自ら指揮を振ったものを録音したんじゃないでしょうか。
とにかく、あきらかに「競技音楽」ではなくなってる!いいじゃん!悪くないじゃん!
特に楽器をはじめて間もない中高生が触れる音楽としては、結構ステキな要素がたくさん含まれてるんじゃないのかなぁ〜
すべての楽器が歌う事によって、いろんな所から切って貼り付けたように感じてた「ザ・吹奏楽」なフレーズも意味が見えてきて・・・これは、ギャグなんかじゃない!いろんな楽器が集まって「ひとつの音楽」を作るって・・・もう「吹奏楽バンザイ!」ですね。
わ〜イイモン聴いた!聴いてホント楽しかった!
これが「正調」だとするなら、今までそれを知らずに「あーだこーだ」言った俺はホント不勉強な馬鹿者です。バーンズさんごめんなさい。
聴いて楽しかったし「もう一度演奏してみたい」とさえ思った。
で、再度「東京佼成」のバージョンを聴いてみると・・・なんか、この曲のすごく「大切な部分」が抜け落ちてるように、俺は感じます。
ブワーッと駆け足で来て、最後に「ダカダカダッ!ジャン!」・・・やっぱギャグだ。
でも「日本の吹奏楽界」では、こっちが「お手本」であって「こういう風に演奏する」ってのが「コンクールで金賞を取る」という事になってるんですよね?
う〜ん・・・「時間制限」を優先して「大切な部分」をないがしろにしたような音楽。
まったく同じ曲なのに、バーンズ版が8分22秒に対して佼成が6分48秒・・・そりゃ無理もあるでしょう。
いくら「トッププレイヤー」という人が集まっても、表情の乏しい「歌ってない音楽」になるのも止むを得ないような気もする。偉そうだけど「むしろよくやってる」とさえ思う。やっぱりウマいんだなぁ。
佼成の人達だって、心から納得して「これが良い」と思ってるのかどうかはわからない。
なんか、吹奏楽の「協会」みたいなところから「課題曲のお手本になるような演奏を一発」みたいにお願いされて、しかたなく早いテンポでやってるのかもしれない。
まがいなりにも「教育の一環」としての「部活動」で、そういったものが「お手本」とか「教材」になるのはいかがなものでしょう?
せめて、コンクールでこの曲を演奏する中高生にも、まず「バーンズ版」をよく聴いて、その「風景」みたいなイメージを持ってもらって・・・それでテンポを上げるってならいいんですけどね。
なんか「早くできる方がカッコいい」とか「難しいことができる方がスゴイ」みたいな風潮がありませんか?
この「アルヴァマー序曲」の場合は「テンポを早くする」という事で「コンクール仕様」になってますけど、他にも制限時間に収める為に曲の一部をカットして縮めたりすることもあるそうじゃないですか。
繰り返しの部分を減らしたり。
それって、どうなんですか?作曲者が「必要だ」って言ってんですよ?
「課題曲」といわれてる曲は当然コンクール用に作られてるから、制限時間内に収まるようにできてるんでしょうけど。
「自由曲」で、無茶なテンポや曲をカットするような楽団は失格にしましょうよ。音楽のコンクールなら。
ステージに上がる人数にも制限があるっていうしな〜
もう、なんというか、そんな「制限、制限」のコンクールに「出よう」という方針の時点で音楽の指導者として・・・
「優秀な指導者」ってのは「コンクールで金賞を取る」じゃなくて、正しく楽しい音楽を教えられる人だと思いますよ!
でも、そうはならねーんだよなぁ〜・・・
うわ〜今日はホントただ「不満」言ってるだけだ。全然、決着がついてない!
ホント「もっともらしい正論を吐いて得意になってるバカ」みたいで自分でも「どうか?」と思うけど。
バーンズ版の「アルヴァマー序曲」を聴いて。
今後もこの曲が「定番」として演奏されていくのなら。
「制限時間が」じゃなくて、ちゃんとこのテンポで演奏されるようになる事が、吹奏楽を閉鎖的じゃない音楽にするヒントだと思います。
というわけで、まだまだ続くと思います。
さて、最後に。吹奏楽関係ないけど、この「アルヴァマー序曲」はエレクトーンでも定番曲になってるみたいです。

いや〜最近のエレクトーンってスゴイ事になってるんですなぁ。
しかし、これも・・・なんなんでしょうね?最後までがまんして見たけど「だから?」としか。
あれですかねファミコンなんかの「ゲームをクリアする」みたいな感覚でやってんですかね。
「部屋にこもってないで、外でみんなと遊びなさい!」と言いたい。
もちろん、音楽の表現には「ソロ」って形態もあって「誰かと演奏する」という事だけが重要ではないというのはわかってますが。
これは、大道芸なんかでドラムを背負って、シンバルをかぶって、ギターを弾いて、ハモニカを吹いて・・・いや、それもスゴイとは思うんですよ「大道芸」としては。おもしろいと思いますよ。
これは、それと同じだと・・・いや、ここまで機械というかプログラミングされたものに頼ってたらそれもないか。
というか、今「機械」って書いたけど・・・「楽器を演奏してるところ」じゃなくて「機会を操作してるところ」だと思って見ればいいのか。

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今日は夕方から「ブラス関係」の雑誌の取材があって(突然日記です)
ちょうど、ここ数日考えていた事をそのまんま話せば良かったみたいなテーマだったんだけど。
やっぱ、考えて一度文章にした事って、ウマく話せるもんですね〜
あ、でも一度ブログに書いちゃった事が雑誌にってどうなんだ?
インタビューっていろいろあると思うんだけど。かなりの高い確率で聞き手さんがあらかじめ「この人にこの話題を振ればこういう話が聞けるだろう」と完成した記事をイメージしてる場合がある。
だから、その「意に反した」ことはどれだけしゃべってもカットされてしまうのです。
どれぐらいのボリュームの扱いになるかわからないけど。
俺が考えて話した事を編集さんの手腕に委ねるというのは、いつも気持ちが落ち着きません。