昔見た未来

あ〜読んだ読んだ

出先で時間がちょっと空いたので何を探すでもなく古本屋に入ったら、山下洋輔さんの旅エッセイが何冊か。
以前は定番のように古本屋で見かけたこのシリーズ、最近見ないなと思ったら絶版になってたんですね。
『ピアノ弾き翔んだ(山下洋輔)』 投票ページ | 絶版・レア本を皆さまの投票で復刻 復刊ドットコム
今ならそれこそ「ネコも杓子も」といった具合に海外で活躍する日本人ミュージシャンっていますけど、その「パイオニア的」にヨーロッパ各地で珍道中を繰り返す山下さんのエッセイをまだ楽器をはじめて間もない高校生の頃読んで「こんな事が自分にもできたらなぁ」と思ったもんです。
「高校生の頃読んで」とは書いたけど厳密に言えば「読まされて」が近いのか?
当時、本とレコードは小遣いと「別枠」で母親が俺の興味ありそうな本を買ってきて「これ読んでみたら」ということが良くあったんだけど、その中の一冊だったんですね。
もちろん「俺の興味」にはドンピシャだったわけですが、まさか母親も俺がこんな風になってしまうとは思ってもみなかったでしょう。立派な経営者とかお医者さんのエッセイにしておけば、と後悔してるかもしれない。
で、久しぶりに読んでみて。若い頃に何度も読み返した本って、やっぱり覚えている部分も多くて「懐かしいな〜」と思う部分もあれば。
ヨーロッパのフェスティバルで。たとえば「メールス・フェスで満員の聴衆が最後にはスタンディングオベーションに・・・」といった大成功を収めたエピソード。
高校生の頃はあくまでもその光景を想像して「スゴイ!スゴイ!」と興奮したものですけど、今はあきらかにその「画」が浮かぶ。
メールスのメインステージの様子や日本のお客さんと一味違った欧州の熱狂的な盛り上がりというのがリアルに感じ取れるのです。
これはとっても愉快な話ではないですか。
もちろん、子供の頃に読んだ経営者やお医者さんのエッセイがリアルになった人もいるでしょうし、想像上の「未来の道具」だったテレビ電話や携帯電話が「あたりまえ」のように普及したりっていろいろあるけど。
若い頃に読んだ本の中に「自分の未来がある」ってのは、とても愉快だと思うし、影響云々って事も含めて「なるようになる」とはこういうことを言うのかなぁ、とも思うのですね。
で、自分が書いたコラムなんかもいつか誰かがそういう風に思ってくれたら愉快だなぁ、と。