ユトリ

昨日、雨の東京に戻りようやく一息。今月はブログもサボり気味だったから、そろそろちゃんとやらないとなぁ・・・と、思ったら。アクセスが減ってるな〜!
まぁ、ロクに記事も書いてなかったから「自業自得」で「客離れ」も仕方ないんだけど。
ちょっと思うのは「これ、俺だけのせい?」
いや、あくまで「自業自得」だとは思ってますよ!でも、周りを見回しても比較的マメに更新していた人が滞っていたり・・・「ブログ離れ」ってないですか?読む方も書く方も。
当然「どこに流れていったか?」といえばツイッターなんだろうけど。
ひと頃あんなに、みんながやってたミクシだってアカウントこそ残してるものの閑散としてるもんなー
どんな場合でも・・・ハードやソフトのシステムやメディアが「新しいもの」に移行していくってのは「アリ」だと思うけど。
「ブログ離れ」でツイッターに流れる事が「長文離れ」なんだとしたら、ちょっと良くないな、とも思う。
これは、この前KABB!の楽屋で話していたことなんだけど、幅広い年代のメンバーで構成されているバンドなんで、いわゆる「ゆとり世代」と呼ばれてる人達もいて。
その授業内容の「はしょり方」みたいな話を聞いて大いに驚いたのです。
もちろん、無駄に物事を複雑にする必要はないと思うけど「思考を組み立てる」という部分が成長しない教育は問題があるのではないかー?
テレビやまんがといった表現が「説明的」になりすぎてる傾向だって、そういうことでしょう?
新卒の大学生が就職先がない!っていうのも企業が「バカだから取らない」らしいし。
別にツイッターやってる人が全部「ゆとりの人」ってわけじゃないから、直接は関係ないけど「手軽」だからって「長文離れ」になるんだとしたら「ゆとり教育の弊害」と同じだと思うのです。
で、これも思い出したんだけどちょっと前の「週刊文春」のコラムで宮藤官九郎さんが憤慨してて・・・

(前略)先日たまたま手に取った雑誌にぼくのドラマに関する評論というか、批判めいた記事が載っていました。曰く「最近の視聴者はテレビを見ながらメールやツイッターをやるから、セリフやプロットに凝り過ぎるとついて行けない」そうなんです(後略)
週刊文春10月14日号)

で、これに関してクドカンさんは「セリフとプロットに凝らないで脚本家は何に凝ればいいの?」と怒ってるわけですが・・・
実に「う〜ん」と唸らされたのですね。
まぁ「ながら」というのは今に始まったことではなくて、昔から「ラジオを聴きながら」とか「御飯を作りながら」と勉強をしたりテレビを見たりしてたわけですが。
「テレビを見ながらのツイッター」って明らかに性質が違うと思いませんか?
よくツイッターのTL上で見てるテレビの話を書いてる人を見かけますが・・・「なんだこりゃ?」と思うのですね。
たとえば、出てきた俳優さんに「老けたな〜」なんて感想をつぶやいてるならいざ知らず。ほとんど状況を実況中継してるだけ。「なんの為に書いてんだ?」と思うし「なんでこんなモン読まされなアカン!」と腹が立ってくる場合もある。
ちゃんとテレビを見て感じた事ならいいのだ!ということね。内容は置いといて。
その辺りが、今までの「ながら」と「テレビを見ながらのツイッター」の物凄い違いだと思うのですよ。
ツイッターでつぶやく「素材」としてテレビを見ている、という。
もちろん構造としては「評論家が論文を書くために音楽を聴く」と同じとも言えるから、これも今に始まったことじゃないし、ブログで感想を書いてるのも似たようなものかも知れないけど。
「見る・聴く→感じる→書く」の一番重要な「感じる」が抜けてどうするよ?じゃないですか。
読む側が知りたいのは「今日、こんなテレビを見ました」じゃなくて「僕はこう思いました」じゃん。
ただ、俺がクドカンさんのコラムに「う〜ん」となったのは、もっとあって。
そういった、仮にも「たまたま手に取る」ような、ある意味「一般的な雑誌」に書かれた評論が「メールやツイッターをしながらの人を優先したわかりやすい脚本を書くべきだ」みたいな事を書いてるってこと。
なんたる「ゆとり発想」だ!
クドカンさんは「脚本家としてツイッターなんかに負けないっ!その指俺が止めてやる!」と意気込んでますけど「書くべき脚本」ってやっぱそっちでしょう?
いや〜これについては実に思うところがあって。
よく、ライブなんかをツイッターで実況してる人がいる。
もちろん「どう感じた」ではなくて「今、なんて曲やってます」みたいなヤツね。
ライブ終わって家帰って、パソコンのTLをさかのぼって見たらさっきまで自分がやってたライブをフォローしてる人が見に来てくれていて・・・「オマエ、そんなことやってたの?」だよ。
あぁ、そうですか夢中になって集中して見るようなライブじゃありませんでしたか、だよ。
う〜〜〜〜ん、ホント「どういうつもり」でつぶやいてるのか知らないけど・・・「ライブに来れなかった人に」だとしてもアレだし。
まぁ、単純に「なう」なんでしょうけど。「いいでしょ?いいでしょ?今、ワタシこんなに楽しんでるのー!」ですか。
それとも、もう「仕事」の感覚か?!
演奏中にずーっとおしゃべりしてるお客さんも気になるけど、携帯でプチプチやってるのも失礼な話だと思うけどな〜
「書いた脚本がテレビで放送されて」ってシチュエーションでも相当なのに、こっちは目の前で演奏してんですよ!
それともやっぱ、ライブが実況されたら「おもしろくなかったんだ」って反省しなきゃイカンのですかね?
どんだけボロクソにケナシてあっても家に帰って書いてくれたブログの方が「ちゃんと聴いてくれてるんだ」ってウレシクなりますね。
さて、みんな最後まで読んでくれてるんでしょうか?