「なにをするか」ですね

感謝

早朝新宿に着いてその足で集合場所に向かい仙台へ。
この記事は15日に書いてるんですけど、すでにいろんな人がライブについて書いているので今更俺が書くこともないので・・・いろいろ考えたことを書きます。
世の中では震災以来「今、自分ができること」について考えてる話をよく見聞きします。
1ヶ月経った今でも「そういったこと」を考えてるって話を見聞きしますが・・・ようするに「なにもやってない」ということじゃないか。
ことさら「人の役に立つこと」をしようって考えてる人も多いけど、それでいいんですかね?
なにか「特別なことをしよう」とするから腰が上がらないんだと思います。
ハッキリ言って、自分と縁もユカリもない・・・結局「自分とまったく関係ない人」について考えるってのは行動に直結する「リアル」が足りないんだと思います。
ところがですね、現地に行ってみて。
それまで「自分と縁もユカリもない」人たちと自分との関係が変わると、なんか全然違ってくるわけです。
うまく言えないんですけど・・・被災地の人ってのは普通に「いつも通り」の暮らしができなくなってる人が多いと思うのですが。
だからといって、自分も「いつも通り」じゃない特別なことをするのって「その人たちの事を考えてる」と言えるのかなぁ、という。
「節電」とかね、実際「やったほうがいいこと」は別として、いろんな「自粛」とか。
なんとな〜く、あんまり「いつも通り」でいることが「気が引ける」って部分もあったりするけど「大変さを分かち合いましょう」なんて特別なことをするのが「ものすごく無意味」だってのがよくわかりました。
今回、ホントに多くの人から「仙台に来てくれてありがとう」みたいなことを言われましたけど。
「いやいや、いつも通りのことやってるだけですから」なんですよね。
それで喜んでもらえるなら、せっかく大した被害にもあってないんだから。
キチンと「いつも通り」のことをやり続けなくちゃイカンなぁ〜と。
ものすごくシンプルで当たり前なことに気付いたわけです。
物事に関心を持って、深く考えれば考えるほど「行動」が後手に回る。
それが一番ダメなんでしょうね。