永遠に不滅

イエ〜イ!

昨日、クマノミ画伯と呑んでる時にひょんなことから共通の知人がいることが判明して。
で、そん時に「あ〜」と思い出すことがあったんだけど・・・
その前の会話の中で画伯が「明日、誕生日なんですよ!」(つまり今日ですね)ってなオメデタイ話を聞いてたってのもあって、言わなかったんだけど。
その「共通の知人」と俺が知り合ったのは大原裕さんのバンドで一緒になったからだったのでした。
で、奇しくもというか今日は大原さんの命日です、もう8年になりますね。
これまでも、ここで「死生観」みたいな話を書いては反感を買ったり、ウマく読み取ってもらえず親友と絶縁したりとなにかと問題を起こしていながら・・・ではありますが。
今日も「あえて」誤解を招くであろう事を言わせていただきますならば。
俺にとって大原さんは「生きてても亡くなっても変わらない人」なのです。
もちろん、今も健在で音楽活動を続けていたなら・・・という事を考えないわけではありませんが。
亡くなった人に対しての「たら・れば」を語るほど空しいものはないし。
「大原さんあって」の今に続く人脈や大原さんから受けた影響(被った迷惑ってのもあるけど)ってのは常に自分と共にあって色あせることがないのです。
いつだったか・・・たしか追悼ライブの時だったかに、大阪に住んでいて大原さんとよく行動を共にしていた人に「鬼頭くんは大原と仲が良かったよね」みたいな事を言われて。
大原さんとは10近く歳の離れた先輩なんで、恐れ多いやらウレシイやら誇らしいやら・・・とにかく複雑すぎる感情になったことがあって。
だから、今でもホントはすごく悲しい・・・う〜ん「悲しい」というか。なんでしょう?ウマく言えませんね。やっぱり。
でも、さっきも書いたような「思い」があるから、別にいいのです。大原さんは俺にとって「思い出の人」ではないし感傷に浸る対象でもないのです。
ただ・・・唯一「たら・れば」の話をするならば。
大原さんが亡くなるちょっと前にしきりに言っていた「音楽の学校を作りたい」という話。
楽器の技術や音楽の理論なんかを教えるんじゃなくて、ホントの音楽を教える学校。
当時は「酔っ払いの話半分」ぐらいに受け流して聞いていたんだけど。
あれから俺もいろんな経験を積んだり、音楽家を志してる若い人達と交流を持って「もし、実現してたら」って思うことがよくあるんですよね。
そして「その時は鬼頭くんも講師で来てな」って誘ってくれた大原さんの言葉は「志なかばで倒れた友人」が残した「俺がやるべきこと」だとも思ってます。
大原さんも生きてりゃ52歳か〜
ってことは亡くなったのは44歳?俺、来年「同い年」じゃん。