結局のトコ

昨日は赤羽で呑んだ

昨日、展覧会に行って。まぁ、帰りがけにいろいろ考えたんですけど。
結局、自分から出てくるものってのは自分の中にあるものしかないわけで。
で、その為に積極的に自分の中に「入れよう」とすることが大事なわけですね。
音楽を聴くことはもちろん、本を読んだり景色をみたり・・・なんでもいいと思うんですけど。
ただ、漠然とダラダラじゃなくて「入れよう」という意思を持って何事にも接する、と。
「ネタ」そのものは「借り物」だったとしても、様々なネタが自分の中でミックスされて出てきたものが「オリジナル」でよし、という。
その「出てくるもの」にパターンがあったり、どうしても似かよってしまうのは、ある意味「しかたがない」とも思うわけです。
それは「らしさ」として開き直るのもありだ、と。
で、ちょっと話は変わるんだけど、今俺の中に「入ってるもの」
昨日の安野さんの絵本の記憶とかもそうだけど「子供の頃に親から」ってのは実に多い。
子供の頃に聴いた音楽や読んだ本、行った場所。
それが、今やってることにかなり影響を与えてると思うんだけど。
そういった意味で、ものすごく両親には感謝してます。
と、いうのもね。
昨日、美術館から帰るバスの中でお母さんと小学生の男の子が乗ってたんですけど。
そのお母さんが、実に理不尽な理由で男の子をネチネチ怒ってるんですよ。
「言葉遣い」も実に・・・なんていうんですかね〜「頭の悪そう」って言ったらあれですけど。
「いまどき」なんですかね〜?とにかく「人の親としてどうよ?」みたいな。
近くで見てて・・・まぁ、いろいろ思うところはあったんだけど。一番は「この男の子はどんな大人になるんだろうな〜」と。
今、自分の周りを見渡してみると「ぜいたく」とか「裕福」って意味じゃなくて「良い育てられ方をしたんだろうな」と感じる友人や知人が多いように思います。
才能みたいな能力って自分の努力でなんとかなるんだろうけど、その根本にある人間の「豊かさ」みたいな部分って、親の育て方が大きいんじゃないかな〜と思ったわけです。