という経緯があって、昨日の「明日の神話」の特番について。

明日の神話」に関しては発見〜修復のニュース以来、かなり楽しみにしていたのだ。だから当然昨日の番組にも期待してしまった。
結果は散々、期待外れもいいとこ。なんだあの中途半端な構成は。せっかく多くのアーティストがコマーシャル前のジングルも含めて関わっているのに。「Be TARO」という打ち出しがあるのなら、もっともっと「岡本太郎インスパイヤされた人」に焦点をあてるべきじゃないか。そういった人達のインタビューや作品を紹介する事に重点を置いてもいいような気がした。特に驚いたのはエンドロールのクレジット。あそこまで「太郎リスペクト」で集った人達をないがしろにするか?唯一面白かったのは「目玉男」のくだり。「自分は決して岡本太郎に反発したのではなく、彼にアジられたのだ」という事を何度も繰り返している所が、あの番組の中で一番「岡本太郎ってスゴイ人なんだぞ!」っていうのが伝わってきた。
結局番組は「岡本太郎の紹介」に終始した。それも、多少なりとも彼の事を知っているなら「またその話か」って底の浅い話ばかり。文献からの引用ばかりの言ってみれば「初心者向け岡本太郎講座」みたいな内容。「世紀の大イベント」と銘打ったわりに、そんなお粗末な番組になった理由はこんなところだろう。
日テレとしては、事業として関わった「明日の神話」修復にあたって「岡本太郎、誰それ?」じゃ困る訳だ。だから「岡本太郎ってのは、こんなにスゴイ人なんですよ、偉大な人なんですよ」って事をみんなに知ってもらわなきゃならない。
で、それは何の為かというと「そんなスゴイ人の絵を修復するのに協力したんですよ!日テレは!」って結局、他人のふんどしを借りて自社の自慢がしたいだけってところだろう。
特にヒドイなと思ったのは「まだ公開もされていない絵のテーマやメッセージを延々と説明する」辺り。
確かに「抽象的」な作品であるから「どこがいいの?」「よくわからない」って思う人がほとんどだろうけど、日テレとしては「それでは困る」とばかりに「スゴイ作品なんです」「とても意味のある作品なんです」と必死だ。「日テレはとても意義のあることをやったんです」って自慢したいから。

あの番組見たら、岡本太郎は絶対怒ると思う。「見た人が自由に思い思いの感想を持つ」っていう事は岡本太郎が大切にしていた事だと思うんだけどなぁ