ジャズは偉いのか?

ホスピタル


最近、NHKを見ているとちょくちょく「渋さ知らズ」の名前を目にする。
と、言うのも明日と明後日に開催される「東京JAZZ 2006」に出演するのだが、その主催にNHKも加わっているので、要するにそれの宣伝の一環として。
俺が、20代前半の頃は企業の冠がついたジャズフェスが日本全国でたくさん開催され、マイルス・デイビスパット・メセニーからオーネット・コールマンやサン・ラに至るまで数多くの「外タレ」が毎年大挙して来日していたが、バブルもはじけてめっきり少なくなった。
そんな中で今年5回目を迎える「東京JAZZ」は数少ない「大物外タレ」が出演するフェスで、いわゆる「ジャズ好き」(フェス好きではない)をターゲットにしたイベントだ。今年もチック・コリアハンク・ジョーンズを筆頭に国内からは渡辺貞夫さんらビッグネームが名を連ねている。
で、これに出られることが「すごい」とも「ステイタス」だとも思ってはいない。
よく「渋さ」の事を「あんなものジャズじゃない」と言う人や書いている本も目にするけど、それについても別にどうとも思わない。「ジャズ」なんてカテゴリーはCDショップの棚の整理に便利な分類程度にしか思っていないし。「ジャズだ」と思う人はそれでいいし「ジャズじゃない」という人に目くじらを立てる気も無い。そもそも自分にもわからない。
ただ、以前名古屋で「老舗ジャズライブハウス」といった店で演奏している人に、あからさまに馬鹿にした様に「そんなもんやってるんだ」と、あたかも「俺たちジャズメンがやってる事が本物だ」って物言いには少々カチンときた。
繰り返して言うけど、フェスに出ることがスゴイとは思っていない。
だけど「じゃあ、あんた達国内や海外のでかいフェスに呼ばれなさいよ」と。人がやってる事を自分より下だ、と言うなら「それ相応の」事をやってくださいよ、と。地方のライブハウスでチンチキやってる事を本物と言う根拠はなんですかね?「井の中の蛙」はなはだしい。
今、国内外のジャズフェスのラインナップを見ると、いわゆる「オーソドックスなジャズ」以外のアーチストが目立つ。でもそれは、かつてジャズと言う「音楽」を楽しもうとした柔軟性のあるリスナーに「十分受け入れられる要素がある」という判断でのチョイスということではないか。
逆に「本物」「偽物」という考え方を増徴させるのも、幅広いチョイスだからかもしれない。
しかし、ちゃんとしたフェスがセレクトしたものは「唯一無二」のものなのだ。「モノマネ」ではなく、全てが「元祖」で「本物」なのではないか。スタイルではなくそういったものが「ジャズ」なのではないか。
そんなに長くも無い「ジャズの歴史」の「ほんの一部分」、それも「自分の好きな所だけ」を抜き出して「本物」というのであれば、「偽物」で結構。
さて、俺が参加しているもうひとつの「東京中低域」も今度某国のジャズフェスティバルに出演が決定している。コレに至っては、やっている本人達にもう「ジャズ」という意識が全く無い。
「こんなもんジャズじゃない」と言われたら、まったくもって「おっしゃるとおりです」なのだ。
でも、フェス側がセレクトする条件が俺の考えているような事であれば、それは光栄な事なのだ。