巨匠帰る

巨匠とコック


「日々勉強」とは言うものの改まって「誰かに何かを習う」という機会はそんなに無い。
とも思うのだけど、実はチャンスはたくさんあるのに逃してしまっているだけなのかもしれない。
「習う」というのは「授業を受ける」という言葉にあるように、どうしても「受身」な気持で望んでしまうからでは無いだろうか。
当然「知りたい」という事に積極的でなければ習うものなど無いのだ。「習う」ってのは人から教わる事では無い。
「習得」という言葉にあるように「自ら得る」ものではないか?
世の中にある大半の事なんて、所詮「知らなくても済む事」だと思う。
でもそれを「知って得する事」にするかどうかは自分次第なのだ。あくまでネタの内容では無く、受け止める器である自分の問題という事。
わざわざ来たのに、それでいいのか?巨匠!
次回はもっと「得」のある上京にしましょう。