俺の好きな言葉


「結果オーライ」という考え方が、歳をとるにつれて好きになってきた。(ということは「昔は大嫌いだった」って事なんですけど。)
昨日、というか今朝は「京都で遊べなかった事」を残念がっていたものの、もし「京都泊まり」だったと考えると・・・
結局「泊まり」なんて言っても「朝まで呑む」コース、観光渋滞の昼間に高速を走って、サウンドチェックギリギリの夕方に東京に着いて。
これはシンドイぞ。
なんだかんだ言っても、今朝帰ってきて良かったんだ。
昼過ぎまで寝て、夕方から吉祥寺に出かけて「マンダラ2」で渋さ知らズ劇場。
さすがに疲れたけど、先週もそうだったように旅から「東京に戻った日」に演奏の仕事が入ってるってのは良いね。
旅に行く前とか帰りの時は「めんどくさいな」とも思うんだけど。
なんでもかんでも「結果オーライ」っすよ。
別に「どうでもいいや!」ってなったワケじゃなくてね。
「プロセス/過程」ってのを人一倍重要視してるのは相変わらずで、そのくせ「結果がすべて」とも思っている自分がいて。
「結果オーライ」ってのは「受け入れる度量」の話なのかな。
得てして「結果オーライ」って思う場合の「結果」は「本来自分が想定していた結果とは逆の事が起こった場合」って事だもんね。
「それもアリじゃん」
って思えるようになってきたって事だね。
で、それは「どういう事か?」っていうと、簡単に言えば「寛大になった」って事なのかもしれないけど、実は「頑固になった」ってのもあるかもしれない。
歳をとるにつれて、徐々に自分に自信がついて。そうすると「人に逆らう」ってのが無くなってくる。
「自分は自分」という自信から来る頑固さから「他人は他人」って受け入れる寛容さが生まれるのだろうか。
「あれもイヤ、これもダメ」って言う人は「自分がイヤで自分がダメ」なんだろうな。
「お前のココが間違ってる」って言う人は鏡を見るように「他人の中にある自分と同じ様なところ」に言ってるのかもしれないな。
ようするに「自分が正しい」って思うのは「正しい事はひとつではない」という事に「気付く」という事ではないか。