「正論」論

bousisensei2008-03-03


誰が聞いても、疑う余地の無いほどの「正論」があるとします。
で、これを相手に言うとします。
「私の言ってる事は正しい」と。
ただ、相手が必ずしも「あなたの言ってる事は正しいですね」と受け取るとは限らないのですね。
誰もが認める「正論」を言ったと思ってる人にとっては「え?なんで?」って話かもしれませんが・・・
たとえば「あなたの言ってる事は間違いじゃない」と受け取る事もあるでしょう。
受け手側の微妙なニュアンスの違いでしか無いようだけど、後者は明らかに「納得していない」という事じゃないでしょうか。
言う側の「言い回し」がカチンと来るとか、まぁ些細な事だったりするんでしょうけど。ただ、受け手側もそれが「正論である事」は認めざるを得無いので、何かを言い返すという事はしないし、出来ない訳です。
この状態が「わだかまり」ですね。
言っている内容ではなくて、言ってる人にムカついてしまう訳です。
「わだかまり」というのは、嘘をついて騙したり、意図的に相手を傷付けようと意地悪な事を言ったりするより、むしろ正しい事を言った時に生まれるものなんじゃないでしょうか。
で、ワタクシ思うんですけど、正論を言う側の人は、結構これに気付いて無いのではないか?という事なんですね。
気付いて無いどころか、言ってる事が正しければ正しいほど、受け手側の気持ちは「ないがしろ」にされる傾向にあるとも言えます。
それこそ「正しい事言ってるのに何か文句でも?」ぐらいでしょう。
そうなんです、たしかにそうなんですが・・・
得てして「正論」は相手を言い負かすような場面で使う事が多いんじゃないかと思います。
だとしたら、重要なのは「正しい事を言う」ではなくて「相手を納得させる」という事では無いかと思うのであります。
「正論の言いっぱなし」ってのは案外そういった力が無いような気がするのです。
自分の中の「正義」を無理やり押し付けてるだけなのかもしれません。
相手を思いやる気持ちで「ちゃんと納得しているかどうか?」って事を確認しながら会話を進めて行くことが大切なんじゃないでしょうか。
ただし、ここで「ちゃんと聞いてるか」的な事を口に出すのは「ご法度」です。ましてや「ユーアンダスタン?」などと言うと火に油を注ぐ事になりかねません。
どうでも良い「適当な事」を言う時に比べて「正しい事」を言う時は、とにかく慎重に。自分の言いたい事より、むしろ相手の気持ちを察してタイミングを見計らう事に重きを置くというのが肝心なのではないか?と思うのであります。
ほどよくツッコミを入れたり反論する余地を与え、時には「あなたもそう思うでしょう?」と「納得の確認」ではなく「同意」を得ながらじわじわと「自分が正しいと思う事」を伝えて行く・・・
そうすれば、わだかまり無く相手をコテンパンに言い負かす事も出来るんじゃないでしょうか。
と、思うのであります、ワタクシ。