怪人逝く

bousisensei2008-10-28


ちょっと前にもここで話題に出した(2008-10-11 - うさぎのえさ)お世話になった名古屋の呑み屋「なんや」の創始者である「寛ちゃん」こと可児寛さんが亡くなったとの連絡をいただきました。
俺がバイトを始めた頃は、現マスターの「プヨさん」に代替わりして半年ぐらい、まだ「寛ちゃん時代」の雰囲気を色濃く残していた時期で、前にも書いた「俺が散々世話になった」お店の「音楽ライブラリ」もほとんど寛ちゃんが色んな所から集めてきたカセットテープでした。
店をプヨさんに任せるようになったのは、家業が忙しくなったからと聞いていたのですが、岐阜の山奥(比較的名古屋寄りではありますが)にある実家から毎日2時間ぐらいかけて店にも顔を出していました(寝泊りはずいぶん長い間店の2階でしていたハズ)
「寛ちゃんってどんな人?」って言われると、あまりにも形容する言葉が多くて迷うんだけど、とにかくあらゆる事に造詣が深くて、音楽ライブラリにしてもそうだし、今では結構見かけるけど、20年前には珍しかった無国籍・多国籍なフードのレシピもそうだし。なによりも寛ちゃんを慕って集まって来るお客さんの多種多様さからもわかるように「サブカルチャーの権化」のような人だったと思います。
それにもまして「怪人」という言葉がピッタリな「無茶苦茶な人」でもあって。
もちろん、商売をキチンとやってるぐらいだから、それなりの「社会性」はあったのでしょうけど・・・
思えば、あの頃はそういった「無茶苦茶な大人」ってのがいっぱい居たような気がします。
その中でも「群を抜いて無茶苦茶」な寛ちゃんには多大なる影響を受けた気がします。
バイオレンスな武勇伝や「え〜?」と耳を疑うようなマヌケなエピソードの数々。
何度か一緒に行ったスタッフの慰安旅行やイベントの屋台営業などでは、アウトドアに強い一面も垣間見る事が出来て、単に薄暗い呑み屋で「文化人」を気取るありがちな「サブカルオヤジ」じゃない「かっこいい大人」だと思いました。
そういえば、全然「休まない人」っていうイメージもあったなぁ。「忙しそう」にしてるわけじゃないんだけど、次々いろんな事をやっていくという。
ここ何年かは週末限定で実家に近い山の中で「山なんや」というお店をやっていて(→http://www.dab.hi-ho.ne.jp/yuki2/)「アウトドアに強い」というか好きだったんだなぁ。
最後はなかなか病院に行きたがらず、入院したのも今月になってからと聞きました。
すい臓癌だったそうです。
享年58歳は早すぎるよ、もっと長生きして欲しかったです。
お世話になりました、本当にありがとうございます。
ゆっくり休んで下さい。