早朝フリージャズ

bousisensei2009-06-28

まともな「お勤め」をしてる人には「どこが早朝!」と叱られそうですけど、日曜朝9時の定番「題名のない音楽会」という題名のTV番組に山下洋輔トリオが出演するってんで、早起きして見たのです。
なんでも、番組45周年ということで10週連続のスペシャルなプログラムを放映するとか。
というわけで「山下・坂田・森山」(敬称略)の黄金の第二期トリオがTVでドカーンと演奏したのです。
いやー興奮した!
(本日、以下は想い出とか思い入れのハナシになります)
なんで、そんなに興奮したか?っていうと、やっぱり「我が青春の山下トリオ」って印象があるのです。俺の中で。コンニチ俺がこうやって生きている事に「山下トリオ」それから「山下洋輔さん」って、ものすごい影響なんですね。中学でサックスを始めて、フュージョンっぽいバンドも始めて。徐々にオーソドックスなジャズの勉強の必要性も感じて、当時はアルトサックスをやっていたので、チャーリー・パーカーを熱心に聴いて研究したのです。で、高校一年生の頃にエリック・ドルフィーを聴いて、パーカーの路線をさらに突き詰めた、どちらかというとアバンギャルドなアプローチにシビレたんですね。それまでは「パーカー一辺倒」だったんだけど「もっと色々聴かなくちゃ」と思ったのです。そうは言ってもたかだか高校生、少ない小遣いでレコードを買い漁るなんて無理なので、レンタルレコードの店に毎日行って片っ端から借りまくったのです。たぶん「麗光堂 星ヶ丘店」のジャズコーナーは全部借りたんじゃないか。で、その中で電気が走るような衝撃を受けたのが「山下トリオ」だったのです。「デタラメじゃん!」って。当時、少しでも楽器がウマくなりたいと思って必死に練習していた身としは「ありえない!」「わけがわからない!」というか「こんなもんがレコードになるのか?」ぐらいな。まぁ、高校生ですから。で、やっぱり気になったんで調べてみたら、山下って人は本も出してると。早速買って読んだわけですよ、また片っ端から。そしたら、もうヤラレまして。旅をしながらドンチャン騒ぎをしたエピソードやらヨーロッパでホントに人気があって大成功した話やら。とりわけ「メールス・フェス」での快演の場面にはグッと来ました。実は当時、将来は中学校とかの音楽の先生になりたいと思っていのです。誰でもあると思うのですが、自分が出会ったステキな大人と同じ職業になりたいっての。その頃は中学で出会った音楽の先生がそうだったのです。ところが、山下さんの音楽やエッセイに出会って「路線変更!」となったのです。
「自分がなりたい大人はこれだ!」と。
というわけで、わざわざ「君なら合格するのに」とまで言ってもらった音大の先生のレッスンを辞め。当然、受験自体も辞め。19歳からチャランポラン。これは全部「山下トリオのせい」だと思います。でも、それから随分時間はかかったけど、33歳の時に始めてヨーロッパ旅でドンチャン騒ぎをしながら、ホントにメールスの舞台に立った時はちょっとだけグッ来るものがありましたね。まぁ、相変わらずいつもお金がなくて困ってばかりの人生ですけど、一度は就職して会社員としてそこそこ成功したり、結婚して子供もできたりしたけど、そのままでは「なりたかった大人」の道を絶ってしまったかもしれないわけで。ホント、今思うとヤメて良かった事ばかり。だから、今は貧乏でもそれも含めて「なりたかった大人」になれたって思うようにしてます。これは「山下トリオのおかげ」
もちろん「なりたかった大人」の条件がすべてクリアできたわけではなくって。ただ、それはまだ実現させてないんで、大々的に書くのはヤメときます。できないとカッコ悪いじゃん。で、これもモチロンなんですけど「できない」とはホントは思ってないんですけどね。
あと、今問題なのは「なりたい老後」って目標にする人がまだ見つかってない事。そろそろ、そんな人に出会いたいと思うんですがね。