評論家

bousisensei2009-07-09

「評論家」って実に不思議な肩書だと思う。
他人の作品に対して、何かを言う。そんな「先ず人の作ったものありき」なんて仕事が成り立つのか?
まぁ、一般的に「わかりにくい」とされている美術などの分野なら、まだ「良し」として。
ところが「料理評論家」ってありゃなんだ?
ほとんどの世界中の人が一日3回「美味い!・不味い!」とやってる事を理屈っぽく言ってるだけじゃないの?
+++++++
といった所が、わりと世間一般の「評論家」に対する考え方なんじゃないでしょうか?
音楽・映画・・・評論「される」立場の人の中には「好き勝手言いやがって」と評論家を嫌う人もいます。
そうかなぁ?
あと、評論家の言う事を基準に「見る映画」や「行くコンサート」を決める「ガイド」のように思ってる人もいます。
それも、どうかなぁ?
「音楽評論家」「映画評論家」などというイカメシイ名前が付いてるものの、実のところは単なる「音楽好き」「映画好き」だと思うのです。
でも、この「好き」が基本ってとこがポイント。
よく「辛口」と呼ばれる評論家が「歯に衣着せぬ」みたいな言い方をするけど、キチンと言葉を選んでる。
それは、自分が愛するものを誤解なく相手に伝えたいからでしょうね。
「辛口」であっても、反感を買うような事はしない。
やっぱ、その辺が「辛口」のポーズだけを真似て素人がネットなんかで憶測と浅はかな知識で好き放題書いてる文章が、ただの「中傷」なのと違って「酷評」になってるんだと思う。
素人が書いてるのって、子供が「にんじんがキライ」って言ってるのと同じだもんな〜
「批評」ってのは「好き・キライ」を言う事ではないのに。
俺が「評論家」と呼ばれる人の本を好んで読むのは、結局「酷評」っであっても「好きな事について書いてる」からなんだと思う。
だから、その分「好み」が合わない人の言ってる事はピンと来ないけど。
それにしても、今年はキヨシローとかマイコーとか「作品に親しみがある」っていう人が、よく死ぬ。
それも、イメージ的に「病弱」というより「殺しても死なない」ぐらいの思い込みをいていた人が。
それって、やっぱり作品の力強さから来ていたんだろうなぁ。
そんな力強い評論をたくさんした、平岡正明さんがいなくなってしまうのはちょっとショックです。
最初に書いたように、評論って「先ず人の作ったものありき」なのかもしれないけど、何かに魅了された人が、それに取りつかれてインスパイアされたものが思想になって・・・それは「何かについて書いてる」っていうより、もうオリジナルの域だと思う。
膨大な知識を強引にコジツケる脈絡の無いようであるような、ブッ飛んだ説得力は実に痛快。
特にジャズの評論はよく読んだけど、文章と音源を照らし合わせてみると、評論というより音楽という形のないものを「平岡節」みたいな言葉でカヴァーしてたように感じてました。
「お悔やみ」を言うような間柄ではないので、一言。
いつか俺の音楽も「平岡節」で酷評されたかったなぁ。