行進曲と私

なみすけが「ガチャピン化」してる

小学生の頃、両親が「共働き」をしておりまして。
まぁ、普段は学校に行っておりましたので「鍵っ子」という奴だったわけですが。
夏休みなどの長期の休みなどの場合、母の仕事場に付いて行くことがありました。
小さな出版社で、そこの応接室で本なんかを読んだり。
後はひとりでよく映画に行ってました。
当時はブームというぐらい「戦争映画」が多かった。
今思うと、よくあんな人が「ばかばか死ぬ」映画を見てたなぁ〜「教育上」にも、けっして「よろしい」とは言えないと思うぞ(その反動か、今は病気でも「人が死ぬ」って映画はなんとなく嫌いです)
まぁ、無邪気な子供は「兵器」とか好きだからいろいろ見ました。
で、そういった「戦争映画」の主題曲ってのは、たいてい「行進曲調」だったわけです。
そんな小学生時代も含めて、いまだに印象に残ってる「好きな曲」

1941 (映画) - Wikipedia
スピルバーグ監督の戦争を題材にした「コメディー」で、音楽はジョン・ウィリアムス。
「戦争のバカバカしさ」みたいな事を表現したストーリーだったから、兵隊さんをイメージさせる「行進曲」も「ちゃかした」ようで秀逸な「ふざけ感」がいいですね。
それから、もう1曲。これが一番好き。

遠すぎた橋 - Wikipedia
あら、どこかで聴いた対旋律だ。
こちらは、非常にシリアスな映画でしたね。だから子供には到底理解はできない。
ただ、カッコいい曲だなぁ〜と映画館で思ってたのはよく覚えてます。
なんていうか、比べる対象じゃあないんだろうけど、最近の吹奏楽コンクールなんかで「課題曲」になるような「技量を試す」みたいな小難しいばかりの「聴いててちっともおもしろくない曲」と違ってね。
美しいメロディがあって、壮大なハーモニーがあって・・・そういうの聴いて「音楽がやりたい!」ってなるのは「ごく自然なこと」だと思います。
で、やっぱね。音楽を聴いて「感動した」とか「衝撃を受けた」って人が楽器をはじめると、自らも「伝えよう」という音楽をやると思うのですね。ただ「楽器が演奏できれば幸せ」とはならないと思うのです。
あ、話が逸れた。また「結局、そこに持ってくか」だよな。
で、子供向けの映画も「宇宙戦艦ヤマト」とか「行進曲風」の音楽がたくさん使われてたり。
ま、ようするに「すり込み」みたいなもんですよ。
兄貴がラッパやってたってのが、もちろん大きいけど。
中学上がって「吹奏楽部に入りたい」って自然な流れだったのです。
ただ、なんとなく「楽器がやってみたい」ではなくて、一応「あんな音楽がやりたい」で入った。
実際、今聴いてみると映画で使われてる音楽はほとんどが「吹奏楽」じゃなくて「管弦楽」なんだけど、当時はそんなんわかんなかったから。学校に「管弦楽部」ってのもなかったし。
今の子供ってどうなんでしょう?
テレビやラジオ、それこそ映画だって耳に入ってくる音楽って圧倒的にコンピュータで作った電子音のものが多い。
元々、人間が生で演奏する事など考えていない音楽。あるいは不可能な音楽。
全部が全部とは言わないけど「無機質な音楽」が多い。
「管楽器で生演奏がしたい」って動機になるような音楽が少なすぎる。
逆に「なんでやろうと思ったの?」って不思議になる。反動か?
「これから楽器をはじめよう」って子供をとりまく「音楽の環境」がこんなに変わってしまったのに、吹奏楽は衰退するどころか、ますます・・・ってなぁ。
だから、おかしなことになるんだな。


って、あれ?昨日の今日でまた「批判」みたいなこと書いてる?
愛ですよ「愛」