友達100人できるかな?

無理っていうかそんなにいらん。

まだ、ちょっと時期ハズレですが。
まもなく「一年生になったら」って歌がいろんな所から聴こえてくるでしょう。
俺、あの歌キライなんですよ。
もちろん「言わんとするトコロ」はわからないでもないですよ「お友達がたくさんできるといいね」っていう。
ただ「友達100人できるかな?」ってのがね。なんか「質より量」を推奨してるみたいな・・・
それに「友達ができないのは良くないことです」って言ってるみたいにも「そういうのが苦手な子」には取れて「イヤなプレッシャー」みたいなのを感じるんじゃないですかね?
しかしですね。
なんていうか「いい大人」が、まんま「一年生になったら」の世界をやってる気がするんですわ。
「ソーシャルなんとか」で。
まぁ、俺もそうなんですけど一般的には「mixi」で知られるようになって今は「facebook」ですか?
それぞれでいう「フレンド」とか「友達」の数をやたらと増やすことに情熱を傾けていらっしゃる方も多数お見受けするのですが・・・
う〜ん、企業などアカウントならいざ知らず、一般のおっさんが「なにやってんだよなぁ〜」と思いますね、俺は。
いや、もうこれはfacebookの自分のウオールにも書いたことなんですが、最近なんかヒドイんですよね。
見に行ってもらえばわかると思いますけど(1月28日あたりのタイムラインの話です)→鬼頭 哲 | Facebook
現にこうやってリンクで飛べるようにfacebookのアカウントを持っていれば、俺は「公開の制限」とか「コメントの制限」をかけてないですから「見よう」と思えば別に「友達」にならなくても俺が書いてることが見れるしコメントも付けられる訳です。
俺も同じで「あえて友達にはなってないけど」で、たまに覗きに行く人とかいます。それで十分だから。
それなのに!
たまたま同じ学校に通ってた(らしい)という理由で、なんのメッセージもなく「友達申請」をしてくる「かつての友人」ってのが結構いるわけですよ。
あ、この場合は「かつての友人」でもないか、ほとんど(まったく?)面識もない人が「知り合いかも?」とか「友達の友達欄」で発見して「お!鬼頭哲って知ってる!」って「申請」をクリックしてるだけなんだから。
で、まぁ「せっかくだから」と承認すると、ホント「どーでもいい」その人の「今日なに喰った」とか「どこ行った」って近況が逐一報告されるという。
これ、ある意味メチャクチャな話じゃないですか?
十何年・何十年と連絡も取り合っていなかった・・・ようするに「今の自分にとってどうでもいい人」が突然「友達になってください」と言い出して。一方的に日々の生活を・・・そんなこと知らせてくれなくていいですよ。
もちろん、そういったことを「知って欲しいから友達になってくれ」っていうんなら、いいですよ。読みますよ。
企業に限らず個人でも情報の発信の場として利用してる人はいるわけですから。
でも、そういった「お気軽友達申請野郎」に「自分の書いた記事を友達みんなが読んでる」なんて意識はこれっぽちも無いんじゃないんですか?
ブシツケで失礼な一方的な近況報告って「迷惑メール」と大差ないってのがわからないんだろうか?
そんなことをする人の、どこが「友達」なんだ?
入学シーズンの定番で「友達100人できるかな?」って歌があるなら。
卒業シーズンにアンサーソングとして「その内何人残るかな?」ってのを作った方がいい。