俺じゃない

一応ごちそうは食べます

え〜「当たり前」ではありますが生まれて44年間、ず〜っと今日という日付が誕生日でありまして。
もちろん他の日が誕生日の気分を味わったことがないので、わかんない部分もありますが・・・
いつも思うのは「中途半端な日だなぁ」と。
子供の頃、まぁ「夏休み中」とか「お正月」なんかが誕生日の人と違って、学校で友達と顔を合わせるチャンスはあるわけですけど。
「楽しかった連休明け」という・・・わりと「あ、そう」とスルーされてしまうような。
大人になってからも「そろそろ社会復帰モード」だったり「金のない時期に・・・」だったり。
というわけで、さほど誕生日にイベントがあったことがない、という。
だから何もなくたって「サビシイ誕生日だったなぁ」ということも逆にない、という。
しかし、あれですな。
キチンとしたプロフィールは別としてちょっと前からfacebookだとかmixiで誕生日を「非表示」にしてみたら。
「去年まではなんだったの?」ってぐらいメッセージやコメントがない、という。
(まぁ、こういう事を書いたってのもあるかも知れませんが→おめでとう - うさぎのえさ だとしたら御理解ありがとうございます!)
でも、けっしてこれだって「サビシイ」とは思わないわけで。
ようするに「お知らせ機能」みたいなヤツで「おめでとうと言いましょう」ってのに乗っかってただけってことでしょ?
去年までメッセージにいちいち「ありがとー」とコメントしてたのが非常にバカバカしいことに思えます。
今年も覚えててメールやらくれた人はありがとうございます。こちらは素直にウレシイ。
と言いつつ、思ったのですが。
「誕生日」ってホントに(たとえば今日なら)俺が「おめでとう」って言われる日なんでしょうか?
よくよく考えると・・・もう「習慣」だから考えることも無いのかもしれませんが。
「おめでとう」って「なにが?」という気もしてきたわけです。
「じゃあ何の日」ということですけど「親に感謝する日」にしたらいいんじゃないでしょうか?
その方がシックリくる。
モノゴコロが付くまでの間、毎年両親から「おめでとう」と祝ってもらうのはアリだとしても。
いい歳になって友人から「おめでとう」ってのもヘンですよ、やっぱり。
というわけで、みなさまの中で「この世に鬼頭哲が居て良かったな」(ヘンな言い方ですけど、俺はお世話になったり好きな人にそう思うことがよくあります)と思ってくれる人は是非、今日は俺を生んだ親にマジ感謝してリスペクトよろしくです。