まだ書くか?

bousisensei2008-06-05


おう、書くともよ!
昨日に引き続く話。
これは「食べ方」と違って、あきらかに迷惑だったりする「注文の仕方」
「頼みすぎる人」が多い!
居酒屋みたいなところに行って、最初のオーダーでドカドカッと「もう、十分でしょう」ってぐらい注文して「とりあえず」って・・・
言葉の意味を知らないのか?と思うね。
焼きおにぎりまで注文しといて「とりあえず」は無いだろう!
で、何度もその店に来た事があって「ここは美味い」ってのを知ってるのか?と聞くと
「はじめてきた」って、よくそんな怖い事ができるな、お前!
まずは「店の力量」を確認できるようなメニューを2・3品にしとこうぜ。
で、マズかったらすぐに店を出る!
「え〜メンドクサイから良いじゃん」って言うヤツは勝手にマズイもん腹いっぱい喰ってろ。
さらに、大勢で行くと「〜を3つ」とか人の分まで勝手に頼むヤツ。
許せん!
「ご馳走してくれる」って話でも、自分の意思と関係無いもので腹を満たすのは「なんだかなぁ」と思うのに「割り勘」でこれやるのって「軽い犯罪」じゃないか?
「これ美味しいよ」って教えてくれるだけで十分、喰いたきゃ自分で頼む。
ましてや「枝豆・冷奴」みたいな「とりあえずの定番」みたいな物をたくさん頼むんじゃない!
「まずはコレでしょ?」って「思い込み注文」はやめろ!
「どこで喰ってもそんなに変わらないもの」で腹を膨らませる事ほど、わざわざお金を払って外で食べる食事としてバカバカしい事は無いのだ。
で、そういうヤツに限って、たいてい「注文センス」が無いから、似たような味の物ばかりがテーブルに「所狭し」と並ぶなんて事もあってさ。
「オマエが責任もって全部喰えよ!」と言いたい。
結局、というかこういった「一気にたくさん注文する人」の言い分を聞いてみると「待たされるのがイヤだ」という意見が圧倒的に多い。
そういえば、こういったタイプの人が「ならんで物を喰った」って話をあまり聞かない。
俺も、度を越した行列はどうかと思うけど、待つのは平気だ。
それよりも、一度にいろんな料理がテーブルに並んでしまって、暖かい物が冷めたり・冷たいものが温くなったり・のびたり・乾いたりって方がイヤだ。
で、「なんで待たされるのがイヤなの?」って聞くと、たいてい「腹が減ってるから」って。
それなら「軽く何か喰ってから来い!」と言いたい。
これは、別におかしな話ではないのだ。
みんなで「メシを喰う」とか「酒を呑む」って場所に個人の「食欲の都合」を持ち込む方がおかしいのだ。
デリカシーの無い大食いと同席するのは、喫煙者と一緒にメシ喰うのと変わらないぐらい迷惑な話し。
たばこを吸わない人の前では遠慮するのが当然のマナーで、吸うならどこか別の場所で吸ってくれってのと一緒。
自分より食べない人と同席したら、せめて「お腹が減ってるんで、これも頼んで良いですか?」ぐらいの気持ちが当然じゃないかね?
だから、さっき書いた「人の分まで注文する」ってのは、禁煙席でスパスパやってるのと変わらないのだ。
もちろん、大勢で居酒屋みたいな店に行って「これは自分の分」みたいな注文をするのも、あまり良い事ではないと思う。
A「ホッケ喰おうかな」B「いいね!俺も頼もう」A「いや、俺のヤツ一緒に喰えば良いじゃん」
これで、良いと思うのだ。
で、やっぱりちょっと足りないからって
A「もうひとつ追加しようか」B「いや、今度は別の物にしよう」
こういう展開が望ましいのではないだろうか?
で、「ホッケの後とくれば」みたいな事を考えるのが「味覚として献立の正しい組み立て」に役立つのだ。
そうすれば「注文のセンスがない」などと言われることも無かろうに。
それから「一気にたくさん注文する人」のもうひとつの理由としては「割り勘」の時に「損をしない」ってのもあるんじゃないか?
別に「得」とも思えないけど、自分の好きな物でテーブルを埋めたら、さぞ満足だろうね。
そんな話(昨日の日記を含めて)をしていたら、「学生の頃や社会人になって、最初に食事に連れて行ってもらった人の影響がデカイのではないか」という話しになった。
まぁ、たしかにそうだな(さらに付け加えるとしたら「両親」ってのもあるだろう)
でも、俺は「俺みたいな人」と食事をした記憶があまりない。
やっぱり、焼肉屋に行くと「とりあえず」塩タンを人数分注文するような先輩に連れて行ってもらってた気がするのだ。
話はちょっとそれるけど、焼肉で一度に何人前か注文すると、絶対損してる気がしませんか?
最近のチェーン店とかは、キチンと計ってるかもしれないけど、昔ながらのお店でどう考えても「目分量」ってとこも多い。
俺は絶対一人前ずつしか頼まないんだけど、となりのテーブルが「二人前」って頼んだ皿を見て「2倍は無いよな」って事がよくあると思うのだ。
そうでなくても、同じものをたくさん食べたいと思わないから「カルビ二人前」とかありえない。
以前、大阪の鶴橋で入った店は「いろんな部位が食べれるように一人前を少なくしてます」って店で、ちょっと割高ではあったけど、そっちの方がナンボかありがたい。
というか、最近2人で焼肉に行くと、塩タン一人前・ホルモン一人前・何か赤身を一人前。
これで十分。
量は少なくても、自分で食べる分をひとつずつ網に乗せてゆっくり食べれば満足するし。
「そんなんで足りるの?」って言われても、塩味・味噌ダレ・醤油系ダレを一通り食べてしまったら、後は食感は変るものの同じ味の繰り返しになるだけだもん。何か追加するぐらいだったら、別の店に移動した方が楽しい。
あ、今「自分で食べる分」って話を書いたけど、人の分をジャンジャン焼く人も困るなぁ。
「美味しいタイミング」ってのを見逃さない為には、目の前の肉はせいぜい2切れぐらいがイイトコだと思うのだ。
焼きあがるタイミングだって、ずらしていかないと、まだ前の肉が口に残ってる状態で次の肉が食べ頃なんて事にもなりかねないし。
焼肉とか鍋料理って、結構集中力の必要なく喰いモンだと思うんだけど「宴会の定番」になってるのが不思議だ。
とても「会話を楽しむ」なんて余裕はないぞ、俺にとっては。
いかんいかん「頼みすぎ」の話しでしたね。
コレは別に迷惑するわけじゃないけど、世の中には「悲しい頼みすぎ」ってのもあって。
椅子席じゃなくてカウンターの焼き鳥屋なんかで、山のように串積んで呑んでる人とかいるけど
「それ、晩飯ですか」と、なんか気の毒になってしまう。
もちろん「大好きだから」とか「焼き鳥を腹いっぱい喰うのが夢だった」とか好き好きで良いんですけどね。
なんというかイイトシして「たしなみ」みたいな事を知らないと言うか。
育ってきた環境とか先輩が悪かったのかねぇ、と。
こういう人に「呑みに行くぞ!」って誘われても遠慮しときたいなぁ、と。
本来、長居するようなタイプの店じゃない所でそういう事するのって、今で言う「KY」だったり、ようするに「物を知らない」って事じゃないですか。
別に空気なんか読まなくていいけど、もっと本とか読めよ、と思うのです。
結局、なんていうか「メシを喰いに行く」「呑みに行く」っていうのが、単純に
「腹を膨らませに行く」っていう目的の人と一緒になるとイヤなんですね。
極端に言ってしまうと、俺は腹がいっぱいになるのはイヤだ。
満腹で何も食べられない時ほど「不幸せ」な気分になる事はないのだ。
まぁ、ここまで書いてしまうと、俺とメシを喰いたいなんて人はいなくなってしまうかもしれないけど、別にいいや。
そろそろ人生も折り返したんだから、ガマンする事はないのだ。