bousisensei2006-01-04

三が日も明けて世の中も通常通り動き始めましたか。

それにしても、ここしばらく、特に年明けてからの新聞での未来の展望を読んでいると気分が塞ぎますね。ハッキリ言って夢も希望もなくなる。温暖化による環境破壊や少子化による人口減少。確実に「地球は終わりに向かっている」現実。まさか30年前には想像も付かないような常態。
俺の生まれた1968年はまだまだ世界が上り坂で元気があったんだろうと思う。70年の大阪万博の絵本をみてワクワクしたものだ。実際当時の映像を見ると、日本全体にみなぎる活気がうらやましく見える。
もちろんいつの時代にも万博のようなイベントには「反対派」はいたのだろうけど、昨年の愛知万博のような「やらないことが一番の環境保護」みたいな、実は正論だけど消極的な「反対意見」は無かったのではないだろうか。

冷静であることは悪いことではないと思うが「消極的な正論」がきらいだ。
前時代に「いきおい」や「ムード」で押し切ってきた弊害が今の環境問題などにつながってきているのも良くわかる。それでも、人の「やる気」や「夢や希望」を萎えさせる行動には気分が悪くなる。

テレビの討論番組など見ていても、画期的な意見や新しい行動に「消極的な正論」が勝ってしまう場面がしばしばあって、悔しい思いをする。「できない理由」ってのはつくづく強いものだと思い知らされる。
と同時に「消極的な正論」を吐く人間の目先しか見ていない小ささも感じる。誰かが大きな「目標」を掲げたとして、そこに至るまでの様々な障害に「できない理由」を付け、「目標」を「理想」にまでおとしめているだけではないか。たとえば、その目標が「世界平和」とか「武力の廃止」のように誰もが正しいと思うことであっても。
みんなが目指すべき目標を実現する為の話し合いを行う場面で、もっともらしい理由をつけて、いかにそれが困難であるかを力説することに何の意味があるのか?

軍国主義を連想させるアレルギーや嫌悪感から「右向け右」的な姿勢から、個人の意見を尊重する時代になったのかもしれないけど、今一度みんなが「遠くにあっても大切な同じ目標」に真剣に取り組む必要があるのではないか。群れる事を「ダサい」「めんどくさい」と言うなかれ、反発することばかりを「かっこいい」と思う無かれ。

おそらく終焉に向かう地球では、これまで以上に「消極的な正論」がもてはやされ、風潮や人間の考え方の根底にも根付いてしまうのでは無いだろうか。

だとしたら、せめて俺は。と思う正月でした。