日本人はどうなんだ

階段


家から駅まで向かう道の途中、以前コインパーキングだったところが更地になって随分たつけど、最近ビルを建てはじめた。
ここから書くことは、俺に「建築などの知識が全く無い」という事を考慮してお読み下さい。
近頃、家でも店舗でも「あ、作り始めたな」と思ってしばらくしてから見たら、もう出来上がってるって事よくありませんか?「あ〜柱が出来たな」と思っていたら、あっという間に壁やら屋根が出来て外観は「ほぼ完成」とか。
あれって、他所でそれぞれの部品を作って、現場ではもう「組み立てるだけ」ってプラモデルみたいなものらしいですね、なんか不安だけど。で、近所の建築中のビルも鉄骨の柱が建って階段が取り付けられた。
階段も「一段一段作るもの」とばかり思っていたのですが、もう「階段という部品」ってズバーンとでかいヤツを取り付けてるんですね。な〜るほど、っていうか納得。そりゃ正確なピッチで一段一段の幅も簡単にできるわけだ。
と言うのも、海外にツアーに行った時、結構立派なホテルでも荷物なんか持って階段を上がる時「違和感がある」ところが多かった。一段一段の幅が明らかに違うんだな。ずーっと同じ幅で来ていても最後の一段で「帳尻あわせ」低かったり高かったり。あれって必ずつまずくんですよね。
「どっちがいい」って言ったら、正確なピッチの方が登りやすいに決まってるけど「階段は一段一段作っているものであって欲しい」とも思うんだな。「物の例え」として使うときにも。
ロシアでは高層マンションの外壁は未だにレンガの所が結構あって、当然すべて手作業で詰まれていた。全体の規模から考えると「そんな事やってたらいつ完成するんだ?」って話だけど、何日か滞在することになって毎日現場の横を通ると少しづつだけど確実に「家が出来ていく」のがわかる。気の遠くなるような話だけど、周りを見渡すとすでに人が住んでいる高層マンションがたくさん建っていて、どれも手作業でコツコツと作り上げたものなんだなぁと思うと頭が下がる、というか「底力」のようなパワーに圧倒される。もちろん日本にだって大工さんが建てていた家にはそういった「パワー」があったのかもしれないけど、今のプラモデルみたいな家からはそれを感じない。
おそらく人間もそう。他所で作くられた部品をプラモデルみたいに組み立てるように、誰かが丁寧に作ったテキストみたいなものをお手軽にインストールしたような人ってつまらないんだと思う。
「良い・悪い」は別として、「好き・嫌い」のはなしね。