Eかなぁ?

E電


昨日、東京駅からの帰りに、久しぶりに中央線快速を利用した。ら、今年から導入されたE233系がホームにいた。
う〜ん、どうなんだろう?
ステンレスボディーにオレンジのライン。と、まぁ最近では「あたりまえ」の車両なんですがね〜
山手線・京浜東北線はじめ、いわゆる「元国電」が軒並みこのタイプの車両に切り替わって行く中「かたくなに」というか「箱デザイン」の中央線快速には愛着があったのだが。
最近まで走っていた201系は「省エネ電車」の呼び名で、それまでの103系に変わって登場したフロントマスクの実にスタイリッシュなナイスガイだったんだけどなぁ。
なんだろう?この感じ。
まぁ、俺が鉄道にグッとのめりこんで、鉄道模型をやったり「乗り鉄」にハマッていたのは、本格的にサックスを始めるよりずっと前。ようするに今の「JR」がまだ「国鉄」の時代って事なんだろうな。
当時住んでいた名古屋は「国鉄」が弱い地域なんだけど、電車好きとしては「国電」には憧れがあったからねぇ。その頃のイメージを変に払拭するような車両入れ替えには抵抗があるのか?
そうやって考えると「民営分割化」されてからの車両には魅力を感じないです。
俺がハマってた頃は、まだ「富士」が日本で一番長距離を走る列車だった頃でさ、東京〜西鹿児島を24時間26分とかで結んでた時代なんだよね。やっぱその時代にホームで見た24系25型の「重々しい感じ」って今の車両には無いよな〜!軽いんだもん、最近の列車。愛着湧かないよなー!
列車の目的って昔は「客を運ぶ」だった気がするんだよね。無骨で質実剛健な。
ところが「俺が走る」になってないか?見た目ばっか重視した感じで。私鉄と実際問題で競争になってるからしかたないけどよ。
でもやっぱりさぁ、いろんなサービスの面では格段にグレードアップした所もあるんだろうけど「日本国有鉄道」の良さってのがアルんだよね。それは外国で電車に乗ったりしても、すごく痛感する。
今、俺たちが「ステイツ」って気持ちをドンドン無くしてしまっているのは、そういった姿勢からって気もするな。「USA」でいえば「S」の事ね。
「忠誠心」は無いくせに「依存心」は高いとか。
警察官や学校の先生の不祥事とか「コッカコームイン」の不甲斐なさって、それまで「国営」だったものをドンドン民営化していくのと「時を同じくして」表面化してきたと思いませんか?
そりゃ「国鉄」の職員もオーへーだったけどさ。「国営」から「サービス」の部門をドンドンドン民営化してしまったら、ちょっと「上に立ってるつもり」の人はドンドンドンドン「勘違い」しちゃうんじゃないの?
「ボクたちコッカコームインは選ばれた特別の人です」とかな。
オマワリもセンセーもサービス業だろうがよ!

国鉄時代の車両に感じた「重々しい感じ」ってのは、チャラチャラしてない「安心感」でもあったのかなぁ?