やってしまいがちな事

花咲いた


普段、人と話す時などについつい「自分がわかっている事」を省略してしまう事がある。
物事の背景や、そこに至るまでの考えや経緯をはしょって、いきなり本題に入ってしまったり。
そういった「やりかた」では、しばしば自分の考えが正確に伝わらないという事がある。
音楽の場合でも似たような事があって、たとえば何かの歌を歌う場合。
歌っている人には、その曲のリズムやハーモニーが頭の中に流れているのだが、歌を聴いている人にはそれは聴こえて来ない、と言った感じに。
こういった「自分にしか聴こえていない音」に頼った演奏からは曲のメロディーはわかるとしても、曲の雰囲気やムードまではなかなか伝わらない。
カバー曲をやる時など、その辺りがとても難しい。
特に、元々がそこそこに大編成で演奏されている曲を、それよりも少ない人数でやろうとする時に「どうしたもんか?」と。
カバー曲を、単なる「旋律の紹介」のレベルで終わらすか、エッセンスをくみ取った「自分のモノ」にしてしまうか。
聴いて「おもしろい・おもしろくない」の差はそこなんじゃないか?
ところで、世の中にはスゴイ人もいるもので、ずっと以前に下田逸郎さんの歌と渋谷毅さんのピアノという二人だけの演奏を聴いた事がある。
その時「夜霧よ今夜もありがとう」のカバーをやって、渋谷さんのピアノを知ってる人ならわかると思うけど、元々音数多く弾くタイプじゃないし、コードもベタッと押さえたりしないじゃん。
その時は、いつも以上に弾かなかった!ホント「ポツン、ポツン」と。
それでも「夜霧〜」が流れてるんだよなー!
ものすごい有名な曲っていうのが、もちろんあるんだろうけど「聴いている人の頭にある音を利用した」みたいなアレンジ!
「自分だけがわかってる事」を相手に言わないカッコ悪さはわかってるつもりだったけど
「言わなくてもわかる事」をここまでシンプルにできる境地に、ものすごいカッコ良さを見てしまった!と、同時に「カバーの極意」みたいなものなのかな、とも思った。
う〜ん、俺もステージで寝てみるか。