「なら」のハナシ

本日も


本日も大久保「イシモリ」で東京中低域のリハでした。
ちょっと背中と腰に違和感があったけど椅子を替えたらずいぶんと楽になりました。ってサスガに三日目になると書くこと無いな。
と、いうわけで全然関係ない「なら」のハナシ。
みなさんは普段どのように「なら」を使っていますか?(ってあまり意識してないとは思うんだけど。)
「お茶漬けなら永谷園」「お仏壇ならはせがわ」
とか
ユーフォニウムならルキナ」「裸踊りなら吉野さん」
みたいに「商品名や得意技(A)」+「なら」+「お店や個人名(B)」という「AならB」という使い方が一般的なんだと思います。
この場合の「なら」は言い換えるなら「といえば」みたいなものでしょうか?
それとは別に「B」の個人名が前に来る事もありますね。
「テルキナくんなら」みたいに。
この場合だと、次に続くのは「大丈夫だろう」とか「安心だ」って言葉が入る事になると思います。もちろんここにも「ユーフォニウム」という言葉を当てはめる事もできますが、この場合は「トロンボーンよりは」のような意味合いの「なら」になるわけですね。「といえば」ってのとはちょっと違う。
反対語を探すとすると「では」かな?
「テルキナくんでは」の後に続くのは
「荷が重いだろう」とか「心配だ」
って事になりますね。
このほかにも「なら」の使い方はいろいろあるんだろうけど「BならB」みたいな使い方をすることは「まず」ないでしょう。
なんでこんなハナシかっていうと、たまにパソコンで自分の名前を検索したりするのですが・・・

この「なら」異常に違和感ありませんか?
ようするにこの場合の「鬼頭哲」は「商品名」って事になるんだろうけど。
本人としては、ものすごく「まちがった日本語」に感じてしまうんですね。