思いがけない「それぞれ」

bousisensei2009-01-18


一昨日ココでこんな事を書きましたが→2009-01-16 - うさぎのえさ
まぁ、ようするに「美味しい!」と言ってもらえれば良い、という。
オノレの納得や満足は「その後」について来れば良いじゃないか、って話なんですが・・・
あくまで「作り手側」の事を書いたんですけど。
もちろん「受け手側」にも「人それぞれ」はあるわけですな。
というか、受け手にとっては「食事をする」という事に対しての正解が必ずしも「美味しい!」では無いという事に気づいたのですよ。
そう、「メシなんて腹が膨らめば良い」って人もいるのです。
そういった人相手に、どんだけ美味しい物を頑張って作ったとしても、量がちょっぴりだった場合
「なんだ!こんなモン」と怒られてしまうわけです。
作る方としては、なんとも張り合いの無い話ですが技術も経験も必要の無い部分を求められているという事です。
とにかく「いっぱい盛り付ければ良い」って、もうそれは料理として「求められている事」かどうかすらわからないのですが・・・
ただ、たまにそういったお客さんのニーズに甘んじている店がありますけど。
「味はさておき量だけは」みたいな(写真はあくまでイメージです)
やっぱり、それはどうか?と思うのです。
けっして、それを求められていないとしても、料理を作る以上「美味しい!」と言ってもらう事を目指すべきでは・・・
でも、求められていないという事は作り手の勝手な「こだわり」や「自己満足」でしか無いという事になってしまうという訳ですわな。
う〜む、自分の書いた事に矛盾が生じて来てしまうではないか。
幸い、というかさすがにこういったケースは「料理」にしか当てはまらないんじゃないか?
音楽で「とにかくアンプのボリュームさえ上げておけば」なんて、少なくとも聞いた事無いし・・・
と、思ったらあった!あった!
イベントなんかで、こっちがどんな音楽やるかろくに知りもしないんだけど「とにかく何か音が鳴ってれば」って「ニギヤカシ」の為だけに呼ぶ主催者。
そういった時の張り合いの無い感じって、さっき書いた「ただの腹ぺこ相手」と同じだなぁ。
で、やっぱりそういう時は「あまんじて」しまう訳ですね、一生懸命「良い演奏をしよう」とするのもアホくさくなってしまうので。
「そんな状況でも良い演奏を」なんてのは、自己満足でしか無い訳で。
しかし、ここで「あ!イカン」と気づくのですが、実際演奏を聴くのはイベントに集まってくるお客さんな訳で。
ちゃんと、その人達が満足できる演奏をしなくては!となる訳で。
でも、特に無料のイベントなんかの場合、演奏する側のホントのお客さんは呼んでくれた主催者な訳で、その人達を満足させるのが重要とも言える訳で。
で、その「主催者の満足」ってのが「集まったお客さんに喜んでもらうこと」という、こちらの「本来やるべき正解」と一致していれば良いのですが、こういったテキトーな主催者は「自分達が楽しむこと」しか考えてない場合が多い訳で・・・
あぁ、なんだか書いててアホらしくなって来ましたが「オノレの納得や満足はその後について来れば良いじゃないか」だよな、うんうん。
ただ、これはあくまで「無料イベント」の場合の話。
集まったお客さんからいただいたネーカーで、お互い「儲けましょう」ってのに、さっき書いたようなテキトーな主催者やライブハウスってのもありまして。
これは、あきらかに「人それぞれ」では許されない「正解を間違えた人」という事になりますね。
自分が「作り手」であることをちゃんと自覚して、誰が「受け手」かをちゃんと考えて、料理で言えば「美味しい!」でも「腹いっぱい!」いいから、とにかくその人が「満足する」ようにする。
これが正解ですか。