カバはカバ

この感覚はない。

ツイッターで某バカ姉妹がやりとりをしてて・・・
妹 「アプリコットジャム売ってなかった(´・_・`)」
姉 「でんきやで売ってそうな名前」
妹 「こんなすごそうな名前なのにあんずジャムなんだよ。」
・・・まぁ「すごそう」かどうかは置いといて「なんかわかるな〜」と。
「そのもの」に対するイメージって「名前の音の感じ」が大きいと思う。
アプリコットジャム」と「あんずのジャム」が「同じもの」って・・・「わかるけど」な違和感。
(おそらく姉が「でんきやで〜」って思うのって「アプリケーション」とかそっち方面を思い浮かべてるんじゃないか?)
で、「なんかわかるな〜」と思いつつ俺の中での「たとえば」を考えてみる。
動物の「カバ」
「動きが鈍くてのんびりして〜」というイメージで、あのくすんだ色も含めて「見るからにカバ」ってのがピッタリ!・・・まぁ、これは「バカの逆さま」ってのがあるのかも知れないんですけどね。
ところが海外の子供向けアニメなんかではカラフル(ピンクだったり)に色付けされてて飛び跳ねたりしてる。
これが、どうもピンとこない。子供の頃からあの動物を「カバ」と認識して育った身としては。
でも、英名の「ヒポポタマス」だと思えば途端に納得がいく、というか。子供の頃から「ヒッポちゃん」だと認識して育てば「あの動物」に対するイメージも変わるんだろうな、と。
(ホントはカバってスゴクどう猛で現地では「危険な猛獣」と恐れられてるって現実はどちらのイメージとも違うんだけど)
ま、これと同じような感じで。
「ねこ」の描かれ方の日本と海外の違い。「キャットはこたつで丸くならないよな〜」とか。
初めて生牡蠣に「ケチャップをかけて食べる」って聞いたときは「え〜?」って思ったけど「オイスター」だと思えば「まぁ、アリかな」とか。
ニンジンの嫌いな子供は多いけど「キャロットですよ〜」って出せば喜んで食べるんじゃないか?とか。
外国の人が麺類の「茹で加減」に無頓着なのは、十派一絡げに「ヌードル」って言ってるせいで、日本人みたいに「そば!うどん!ラーメン!」って意識があれば変わってくるんじゃないか?とか・・・
まぁ、そういった中で「結局は」と思うのは・・・俺が自分で作る曲の名前ってほとんど「日本語」なんですけど。
それが海外で見た景色にインスパイアされて出来た曲であっても。
つまりはイタリアで見ようがロシアで見ようが吉祥寺で見ようが「太陽が沈む様子」ってのは「サンセット」ではなくて「夕陽」だという。
「後付」で英訳されたカッコいいタイトルの付いた曲もあるんだけど、イマイチ「ちょっと違うんだよな〜」と思ったりするわけです・・・う〜ん「違う」ではないんだけど。
やっぱり意味より「名前の音の感じ」
他人が考えたり決めた名前や言葉ってのが先にあって、そこから感じるのは人それぞれでもちろん良いわけで。
だからこそ「うたをうたおう」は「Let's sing together」じゃなくて海外の人にも「Uta wo utaou」だと思って聴いてもらいたい、みたいな。
特に歌詞がないインストの曲名って「語感優先」の部分が大きい・・・少なくとも俺はそうなんですね。
ところで。
「そこから感じるのは人それぞれで」とは書いたけど。
アプリコットジャムが「でんきやで売ってそう」ってのは「ないだろ〜?」ですけどね。
電気屋」じゃなくて「でんきや」ってトコに「その人らしさ」が出てるような気もするわけです。