宇宙人になりたい

宇宙食


名古屋に帰る新幹線の中でひたすら迷走しまくった11月を振り返る。
ここの所、一年ぐらいずーっと考えていた事で、最近特に思うこと。
まだ自分の中で確信できてないので、上手い事言えないんだけど、例えば今月「外国人」としてロンドンで演奏したり、ベルギーから来たミュージシャンと「外国人と日本人」という立場でツアーをしたり。大阪や名古屋で「東京から来た」と紹介されたり、東京では「名古屋出身です」と自己紹介をしたり。
要するに全部俺のことなんだけどな。
アイデンティティーとかって話になるのかもしれないけど、広がり続ける世界に、ちょっと自分のキャパがおっつかなくなってくるよね。というか、めんどくさい。自分に付ける「肩書き」がそこら中で変わるのが。
もう「地球人」でイイじゃん。
もちろん。地元ってのに愛着やこだわりを持つことも悪い事じゃないし、むしろ失ってしまってはいけない事だとは思うけど、得てして「ドコドコの誰々」みたいな言い方をする人って「お山の大将」っていうか狭い視野で物事を捉えてる気もするんだよね。何かを代表するぐらいの自負があって言っているのならまだしも、所詮そこに守られているような言い方なら意味がないと思う。
「世界は広い、だから俺は半径数メートルの自分の世界が大切だ」って人が考えてみると今までの人生に関わった先輩にたくさんいる気がする。「世の中には知っている人と知らない人の2種類しかいない、だから俺は知ってる人を大切にする」みたいな。
むやみやたらに、それこそ「やみくも」ではしょうがないけど「わけへだて」の無い人になりたい。視野をドンドン広げる事によって「地球の鬼頭哲です」と言えるようになりたい。どこに属する訳でも守られる訳でもなく、それでいて誰にでも頼り頼られる人の音楽を作りたい。
それを「神の領域」という人もいるかもしれないけど、まだまだ小さいな。俺がなりたいのは神様じゃない。
「神様」ってのは前から思っていたんだけど、ある意味「人の考え方を限定する存在」でもあると思うんだよね。もちろんそうする事によって得られる幸福もあるんだろうけど。それは俺イヤだな。宗教の教祖サマじゃなくても「ドコドコの誰々」みたいな言い方をする人ってそれに近いものがある気がする。大半の「神様」の言ってる事って、すごく乱暴に言ってしまえば結局
「アレは間違ってる、俺の言ってる事が正しい」
みたいなものじゃない?そんなのにだまされちゃダメだよね。
人の考える事をけっして否定しない。自分の考える事をけっして強要する事無く発信し続ける。
さらに視野が広がれば、地球人を超える事ができるかもしれない。