mannerism

マンネリの庭

人生において結構「やっかい」なのは「なにかをやりとげた気分」だと思う。
たとえ完璧でなくても「よし!」「よくやった!」と自分で思えるようなことをやってしまうと・・・
もちろん「もっと先」「もっと上」ってのは絶対あるんだろうから、いくらでもやることはあるハズなんだけど。
失敗し続けてる時の「今度こそは!」に比べると「取り組み」に対するモチベーションを保つのは結構大変なんじゃないか?
まぁ、前回出した結果に満足して「この上、なにをやれというのだ?」みたいに(これ、実は「満足」じゃなくて「自分の限界を見限ってあきらめてる」だと思うんだけど)さえならなければいいんでしょうね。
幸い、俺はものすごく「飽きっぽい」ので・・・これ「自虐」じゃなくて、ホントに「良かった」と思ってる性格なんですけど。
当然「良い」に越した事はないんだけど、たとえ悪い方向になったとしても「前回と同じ」よりはズッとマシだと思ってるのです。
むしろ「悪い方向」にわざと持ってくなんてこともしたり。
「こうすればウマくいく」ってノウハウは一端置いといて、あえて失敗してみると。
その「ノウハウ」の精度っていうか、ちゃんと機能してることが実感できるし「もっとこうした方がウマくいく」ってのを発見できるかもしれない。
でもな〜段々「失敗が許されない」みたいな状況が増えて、なかなか「ノウハウを捨てて」が出来ないんだよなー!
最初は「そのつもり」でも、途中から「やっぱり」と確実な「安全策」に・・・これは「逃げてる」になるんだろうな〜
その辺が、日頃「サービス」とか「アベレージ」みたいな事を言ってる自分自身との大いなる葛藤になるわけなのですが。
「正攻法に逃げた、でもお客さんは喜んだ」う〜〜〜〜〜〜〜〜ん!なんかなぁ「目指してるところには辿り着いてるけど自分には納得がいかない」みたいなヤな感じ。
そうやって考えると「マンネリ」と言われながらも同じ事をやり続けてるってのも、ある意味スゴイと思います。
なんだか「新しい事をやる」ってのばかりが偉いみたいに言うけど「同じ事を続ける」には「腕を落とさない」って努力が必要なわけで。
そっちの方が地味で大変なことなんだろうけど・・・そういった「職人気質」みたいな感覚が「飽きっぽい人」にはなかなかねぇ。
どうしたもんかねぇ。