反省しつつ思うこと

早朝5時に東京湾でのM4(震度3)と言われる余震で叩き起こされました。
これは、もはや「余震」ではないんじゃないか?
昨日の日記を書いた後も続々と入ってくる「ホントに大変なトコ」の状況に、さらにさらに大変さの「天と地の差」があることを感じさせられてます。
いや、まぁ俺が今不安に思ってる「先のこと」なんて甘いのかな、と。
地震が原因で困ってるのは一緒」なんて言ったらイカンのかな、とも。
と同時にミュージシャン仲間のライブやコンサートの中止・延期による「失職情報」みたいな話も続々入ってくるわけで・・・
今、日本中がたとえて言うなら「土砂降りの雨」なんだと思います。
その中で屋根がある場所にいる人、かろうじて雨がしのげる程度の軒の下にいる人、表で傘をさしてる人、傘も無く雨に晒されてる人・・・そんな感じなんじゃないですか?
もちろん、傘もなく雨の中びしょ濡れになってる人が一番大変なのはわかるけど、軒下にいる人も跳ね返ってくる雨で濡れたり、屋根の下にいる人も予定を変更せざるを得ないことになったり。
今度の「計画停電」も「5人でひとつの傘を交代で使いましょう」みたいな話だし。
とにかく、全員のところに「雨が降っている」という状況は変わらないと思うのです。
だから、俺は「ひとごと」のように。あたかも「自分のところには雨が降ってないけど」みたいな感じで「がんばれ!」とは言えないのです。
だからといって、せっかく屋根の下にいる人が「俺も一緒に濡れるわ」と表に出て行く必要もないし、びしょ濡れで困ってる人にとっては「そういうことがして欲しいわけじゃない」だと思うのです(これが「ありがた迷惑」のボランティア活動みたいな話ですね)
軒下からびしょ濡れになってる人に「がんばれ!」といったところで、いつ風向きが変わって自分自身がびしょ濡れになって、それが続かなくなるかわからないし。
屋根だって雨漏りするかもしれないし。
頭では「止まない雨はない」とわかっていても「いつ止むんだ?」とみんなが同じように不安になってれば良いんだと思ってます。
だから・・・「がんばる」という言葉はホント好きじゃないんだけど、あえて使うなら「がんばれ!」ではなく「がんばろう」なんだと思います。
みんなが、お互いに。
これは「相手にかける言葉」というより、自分自身を奮い立たせる為に言い聞かせる「がんばろう」
蚊帳の外から無責任にかける「がんばれ!」とは違うのです。
「がんばれ!がんばれ!」と言いつつ「いつ止むかわからない雨」の不安をあおる様なニュースや記事ばかり目にしますが。
「雨は必ず止む!」って当たり前で誰でも知ってる事を「言い続ける係」みたいな人も必要なんだと思います。
「もっともらしいこと」や「人の揚げ足をとるような発言」で問題定義ばかりのニュースとか。
「私たちはもう一度考えなければなりません」なんて投げるだけで、なんの解決もしてない〆方で終わるニュースキャスターとか。
それより、何の得にもならない「気休め」の方がマシだったりすることもないかなぁ?
「そんな事より今この状況を何とかしてくれ!」って事については自衛隊など専門家の人が「がんばろう」と対応してるわけですから。
俺はそんな時に「いつか止むってば」と気楽なことを言える人でありたいと思います。
そういう「がんばろう」の表現もあっていいんじゃないでしょうか?
今は「誰かの役に立つ」ことを考えるより、みんながネガティブにならず前向きに「自分自身を奮い立たせて進んでいく」ってのが一番大事だと思うのです。

(制作 soundvision http://soundvision-tokyo.com/ )
いつか雨上がりの空に
今も消えぬ虹を見てた
今は通り雨が来ても
いつか光あたる場所へ!
「easygoing!」(HATARIRECORDS HTRR-001)
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