ヤラれる

ここでも爆発だ

東京国立近代美術館で開催中の「生誕100年 岡本太郎展」に行ってきました。
「芸術も節電だ!」というわけで、閉館時間が早いのでちょっと駆け足気味で回ったんですけど・・・ドッと疲れた〜
「圧倒される」っていうんですかね?いや、ちょっと違うな。
ただ「岡本作品」に関しては前にも書いたけど小さい頃から結構親しみがあるし、最近では「渋谷乗換え」の時なんかに巨大な「明日の神話」とかしょっちゅう見てるんで「別に今更」の感もあるんですが。
やはり「美術館」という場所で作品数も多くて・・・って事なんでしょうか。
しかし、というか「だから」なのか。
今回のような「鑑賞システム」・・・ようするに「美術館での展覧会」というのは作者の意図としてはどうなんでしょう。
まぁ、よくいう「芸術は万人のためのもの」っていう岡本太郎の思想のことなんですけど。
どっちかっていうと「美術館のような特別な場所で」じゃない鑑賞を望んでたわけでしょう?
自然や雑踏の中でポツンと強烈な存在感を示しながらも周りに溶け込むような作品を作ったわけでしょう?
だとしたら、今日みたいに美術館で一度に大量の作品を見た時に「疲れた」ってなるのは生理的に自然なことなのかもしれないですね。
なんてことを思うと同時に。
「あるべき場所」とか「必要とされる場所」を意識して「わきまえる」っつーのは重要だと改めて思ったのであります。