It gives the sweet!

どーなの


ちょっと前にココに書いたと思うんだけど、以前より「甘いものは絶対喰わん」の人ではなくなってきたのですよ。
もちろん、チョコレートをボリボリ喰ったり、ケーキバイキングに行く訳じゃないですけどね。
「喰わない」っていうポーズをやめた。
あれば喰うし、無ければ喰わない。目の前にせっかく出されたモノを無下に断らない。
ただ、我が家には「常に」甘いものがあるのですね。
といっても、それは「俺の物」ではないので、ちょっと食べたいな〜と思っても「スイマセーン」って聞かなくちゃいけない訳で。
まだ、そこまでして喰いたかないよな〜
でも、そこまでしてでも「ちょっとだけ」食べる甘いものは、ホントに「おいしいな〜」って思えるんだよね。
なんでもそうなんじゃないかね?
「勉強しなきゃ」「視野を広げなきゃ」って色んな音楽を片っ端に聴いたりしてる人もいっぱいいるけど、それってホントに「自分が欲していること」なの?って聞きたくなる時がある。
「みんなが」「先輩が」でやってる事多くないか?
そういった意味では「それをすること」で安心できる事もあるだろうし、安心しちゃうんだろうな。「自分はこれだけやってます」みたいな間違ったアピールもできるしな。
でも、それじゃあ何も残らないんじゃないだろうか?というか「片っ端から聴く」の「聴く」が目的になってないか?
「追う」ことは簡単だよね、アレもコレも貧欲に追いかけてって。
で、それを「つかまえて」「受け止めて」ってトコまでやって、はじめて「おいしいな〜」って「その事」について思えるわけなんじゃないのかねぇ?
人に伝えるのは「美味かった話」であって「苦労して何かを喰った話」じゃダメじゃん。
「追う」ことで満足してるのは「趣味の人」だよね。
その辺は「ラーメン屋1000件まわった!」って本出す人と、その経験を元に自分でラーメン屋を出す人の違いというか・・・
ん?要するに自分なりの意見というか感想を伝えるべきで、そのプロセスはどうでもいいというか・・・
なんて
ハナシを夜中に発見したドーナツを見ながら考えてしまいました。
黙って喰ったら怒られるだろうなぁ。