投げるのが上手い人は捕るのも上手い

bousisensei2008-06-03


この所、続けて書いてる「上手い・下手ばなし」ですが。
昨日、クニカズさんに「文章が上手いね」と言われた事を受けて。
もちろん、自分で上手いとは思ってる訳じゃないけど、ずーっと続けてるうちに、まぁなんか形にはなって来たとは思う、自分でも。
で、上手い・下手は別として、そこそこおもしろい読み物にはなってるかな?とも思うのです。
毎日結構な数のアクセスがあるって事は、そう思っても良いかと。
で、他の人にも「どうしてああいう風に書けるんですか?」みたいな事を聞かれたりもするのですが、特別学歴があるわけでもなく。誰かに文章の書き方をちゃんと教わったわけでもなく。
しいていえば「本を読むのが好きだからかなぁ?」ぐらいしか思いつかないのです。
ただ、これはいろんな場合にも当てはまる事だと思いませんか?
たとえば、話の上手な人。
これは、得てして「聞き上手」でもあったりするわけですね。
で、その「上手」ってのも、ただ聞いているだけじゃなくて、観察・研究をしているんだと思います。
「この人は上手いな」と思う人からは学び、「この人はちょっと」って人は反面教師にして。
あまり「話すのが上手くないな」って人の中で、よくいる「マシンガントーク系」ってのは、自分がズーッと喋ってるってのもあって、ほとんど人の話を聞かない。相手に口を挟む機会を与えないぐらいですからね。
これでは、いくら流暢にしゃべれていたとしても、会話の一番の目的「コミュニケーション」という部分に置いては、けっして上手くいってるとは言えないと思うのです。
まぁ、そういった「自爆系」の人は良いとして、その逆の「口下手」と言う人。
どちらかというと「聞き役」に回る事が多いと思うのですが、考えようによっては「ちゃんと聞いてるのか?」とも思えるのです。
もちろん、聞いた事を理解はしていると思うのですが。
自分で「口下手」だと自覚しているのであれば、周りにいる人の会話術みたいなものからいくらでも盗んだり学んだりって事ができるはずなのです。
特別、先生に付いたり、教材を揃えたりって事をしなくても、身近に居る人から多くの事を学ぶチャンスってのは、ホントいくらでもあって、それをモノにできるか・できないかってのは、一種の才能みたいな物なのかもしれません。
「才能」というより「向き・不向き」か(その話は前に書いたよね→2007-07-08 - うさぎのえさ
ようするに、そういったチャンスを物に出来ない人ってのは、その分野には向いていないと思うです。
「鼻が利かない」というか、いろんな事からヒントを見つけ出して、自分が上達したい思っている事に結び付けて吸収する事が出来ないわけですから。
そういった意味での「下手さ」ってのは、ここのところ書いてきた「下手さ」とは、またちょっと違って、おもしいろい・おもしろくないとは別次元の話。
「口下手なのはわかってるけど、別に上手くなろうと思ってない」なんて人は言語道断。
そういう「開き直り」みたいなところからは何も伝わってこないと思います。
ただ、やみくもに「上手くしゃべろう」とするのではなく。
食べる事が好きな人は、たいてい料理が上手いとか。
守る立場で考えると、攻めるべき箇所が見えてくるとか。
ひとつの物事に対して相反する事の「受け」にあたる部分から得る、というのが「投げ」に最も重要ではないだろうか?ということです。
たとえば、良い演奏がしたかったら、良い音楽をいっぱい聴け。
みたいな。