あれま

bousisensei2008-08-23


ずっと前にも書いたけど「夢」というのがキライです。
ふとんで見る方じゃなくてね。そっちはおもしろいからむしろ好き。
「将来の夢」みたいに使う方です。
これは、俺のイメージの問題だと思うのですが、なんとも軟弱で甘っちょろい気がするのです。
この頃、テレビでオリンピックを見ていると、インタビューでメダルを取った選手が「夢の舞台で・・・」みたいな事を言ったりしますが、
「それは違うだろ?」と思うのです。
彼らメダリスト達は、子供のころから多分ものすごい訓練や努力を重ねてオリンピックを目指していたと思います。
コーチや監督も大会に照準を合わせて、計画的にトレーニングのメニューを組んで来たんだと思います。
それはもう「夢」なんてものではなくて「目標」なんじゃないですかね?
「夢」っていうと、もっと「いつかオリンピックに出られたら良いな」みたいな、受動的なイメージがあるのです。
「信じていればいつかはかなう」みたいな言い方をするのが「夢」で、何の努力もせず、ただ「いつかは・・・」と待っているイメージがあるのです。
いうなれば「絵空事
それこそ、なんの努力もしないで「まさかオリンピックに出られるとは思いませんでした」っていう「棚からボタモチ」みたいな事を「夢のような出来事」と言うんじゃないですかね?
だから、メダリストは「子供たちに夢を・・・」じゃなくて「大きな目標」を与える存在だと思います。
俺も聴いている人に夢を与えるんじゃなくて、自分が「目標」なんて大それた事は言いませんが、なにか目標を持ってもらう事が出来たらなぁと思ってます。
楽器に限らず「何かをやってみたい」というか「何かをやろう!」と行動を起こすような。
日々を過ごすモチベーションになりうるのは「目標」であって、その合間に「運が良ければ」ぐらいの軽い気持ちで見るのが「夢」なんだと思います。
たとえば、ウチの人は「ハンバーグとオムライスが一度に出てきたら夢のようだ」と言ってますけど、すごく正しい「夢」の見かただと思います。
別にそれぐらい、努力しなくても出来るだろうし「その為に毎日がんばる」って言ってたらアホです。おそらく自分で作ることもないでしょう。
ようは、遠回しに「作れ」と言ってるんだな?
「ハンバーグとオムライスを一度に食べる事が目標」だとしたら、それはタダの大食いチャレンジです。
「やめときなよ」と言うと思います。
もっと簡単に言うと「海外旅行が目標」という人は自分で金貯めるけど「海外旅行が夢」って人は「誰か連れてってくんないかな」と思ってるという・・・
俺の中で「夢」ってのはそういったイメージなのです。
さて、以前ココでこんな事を書きました。
2007-02-21 - うさぎのえさ←ちゃんと読んでくださいね!
一応俺も若い頃からそれなりの努力をして音楽をやってきたワケですが、その結果として大きなフェスティバルで演奏できたり海外にツアーに行ったり、テレビに出たり出来たのです。
決してそれが目標だったわけでは無いのですが、自分が目標としている事へ進んで行く過程として、確実に実りがあったんだと、素直に喜んでいます。
それでも、以前の日記に書いたように「一生かかっても出られない」と思っている場所というのはあるのです。
もちろん「それを目指していない」っていうのもありますけど、武道館とか東京ドームといった「ポップス畑」で使用しているような場所であれば、それがどれだけデカクて、今は途方もない話かもしれないけど「そのうち出るだろう」と思ってるのです。
今はまだ計画してないけど「鬼頭ブラスでそのうち海外に行くだろう」とか。
これまでの「自分の経験」や「目標の過程」のコース内として考えれば十分「ありうる」のです。
で、そのコースの中で「考えられない」「ありえない」という存在が「すみだトリフォニーホール」なのですね。
まぁ、調べてみたらちょこちょこジャズなんかのポップス系もやってるみたいなんですが、やっぱりイメージとして「格調高いクラシックのホール」ってのがある。
「一生かかっても出られない」って思ってるってのは、逆に言えば「出られたら夢のようだ」みたいなモンなんですよね。
かなっちゃうよ「夢」
今度の月曜日に。