う〜ん・・・

俺のアンラッキーアイテム

昨日は深夜の帰宅だったので「日課」ともいえる「情報収集」があまりできず。あと、メールの返信なんかもできなかったんで、早起きしてパソコン作業を。
で、まぁいろいろニュースやらブログを見てると「大震災絡み」の記事がやはり多く目に付きます。
もう、あれから15年なんですね。
まだ、名古屋でサラリーマンをしていたんですけど、あの日のことは良く覚えてます。
毎朝、6時ぐらいに出勤してたんですが、それでも毎晩遅くまでたくさんお酒を呑んでまして。
あの朝もまだちょっと酔っ払ってるぐらいの状態で洗面所に行って、歯を磨いていたらグラ〜ッと。
「うお〜酒抜けてねー」とフラフラして。
まだ、薄暗い中バイクで会社に向かう途中で空に浮かんでる大きくて真っ赤な月を見たときのゾッとするような感覚はホント印象的でした。
子供の頃にたぶん「関東大震災」絡みだったと思うけど、地震が起きた時間に止まってしまった時計台が写っててその上に同じような大きくて真っ赤な月が浮かんでる写真を見た記憶があって。
「赤い月」にはなにか良くないイメージがあるのです。
で、「何かあったのかな?」という胸騒ぎはしたものの、会社に着いてからのてんてこ舞いですっかり忘れてて。
ようやく落ち着いて、いつも行く喫茶店に休憩に行ってテレビのニュースを見て、ふたたび「ゾッ」と。
その話は何度も書いてますね。それほど自分の人生において印象深いエピソードという事です。
その後、関西方面の友人も増え、実際間近で震災を経験した話もたくさん聞いたり。
今朝は今朝で、当時の事を生々しく思い出す友人の日記を読んだり。
15年経っても「止まってしまった時計」はそのままなんだなぁ〜と、しみじみ思いました。
で、またニュースを見てたら、元タイガースの小林繁さんの訃報。
まだ、57歳だそうじゃないですか!
例の「江川事件」で小林がタイガースに来た時、俺がまだ小学生の時だったけど、よく覚えてます。
元々「打倒!巨人」ってのは強かったと思うけど、小林の加入はその図式をさらにエスカレートさせたみたいで。
なんかもう、チーム一丸で「ムキ」になってるみたいで笑えた。
ちょうど、大好きだった田淵がトレードで出ちゃったけど、その代わりに真弓・竹之内・若菜といった「メチャメチャな選手」が入ってきてって・・・とにかく俺にとって「一番可笑しいタイガースの時代」だった。
「負けてもおもしろいチーム」ってあんまりないよ。
なんて事を考えながら、作業をしていて、昼過ぎに浅川マキさんのニュース。
マキさんの「ふと或る夜、生き物みたいに歩いていたので、演奏者たちのOKをもらった」という長いタイトルが付いたアルバムがあって、その1曲目に「今夜はおしまい」という曲があるんだけど。
居酒屋でバイトしてた時、閉店時間を過ぎても帰らないお客さんがいると、それを大音量でかけるってのをよくやったなぁ〜

これは別の「マイ・マン - My Man」というアルバムに収録されたバージョンですね、懐かしいな。
ニュースには「公演先の名古屋で」とあったので「もしや?」と思って調べたら「やっぱり」ってお店での3日間公演の最終日だったみたいですね。
俺も何度か出演させてもらった店で、マスターや店長の事もよく知ってるんだけど。
「時間になっても部屋から出てこなかったため事務所スタッフらが様子を見に行ったという」って書いてあるぐらいだから、当然お客さんなんかも店には来ていただろうし。
いろいろ大変だったろうなぁ、と。
あと、ホント興味本位で、残されて渋谷さんとセシルさんはどんな演奏をしたんだろう?とも。
「また言ってるよ」で申し訳ないけど、特別面識があったわけではないので「悲しい」とかお悔やみを言うような立場ではないのですが。
ただ、なんとなくいつかどこかでご一緒できるんじゃないか?とひそかに思っていたんで、残念です。
不謹慎かもしれないけど、身体を壊して歌えなくなって、長い闘病生活に苦しんでってんじゃなく、最後まで音楽活動をなさっていたってのは、ある意味幸せだったんじゃないでしょうか。
自分もそうなりたいと思います。
もう1曲、実に沁みる大好きな曲を

朝イチに「震災関係」の記事の中で見かけた「あなたが虚しく生きた今日という日は、昨日死んでいった者達があれほど生きたいと願った明日」という一文をとても考えさせられる一日になりました。