う〜〜〜〜ん

朝から晩まで

昨日の日記(いうか?!)を書いてから考えたんだけど。
一応、断っておくけど何も朝から晩まで「そういうこと」を考えてるわけではないですからね。
(今日も長くなりそうです)
「シンプルでオーソドックスが一番」みたいな物言いをしたけど、果たしてホントに俺はそうなんだろうか?とも思ったり。
昨日、以前食べたラーメンの話で「味の三平」の事を書いたけど。
正直、最初は「物足りないな」と思った。
発祥の地といわれる店で「元祖味噌ラーメン」ってのを食べて「え?こんなもんなの」と。
実際、これまでの人生でサッポロラーメンの「味噌味」ってのはかなり食べてると思う。
もちろん「本場」である札幌でもそうだし、俺が小さい頃ってちょうど「サッポロラーメンブーム」が全国的だった頃で「どさん娘」だとか、そういったチェーン店が名古屋にもたくさんあったし。
で、今思えば俺が「慣れ親しんだ味」ってのは、すでに「元祖」からかけ離れたものだったんだなぁ、と。
「まったく原型をとどめていない」とまではいかなくても、あきらかに「元祖」とは違う。
そういった味を「味噌ラーメン」だと思って育った人間が「元祖」を食べて「これが一番ですね」などとホントに思うのか?
少なくとも「やっぱり」は付かないと思う。「やっぱりこれが一番」って。
例えそれが「本来の元々の味」だったとしても、自分にとっては初めて食べる新しい味なわけだから。
「味の三平」はすごく美味しいと思ったんだけど「なにか物足りない」と感じたのは結局「インパクト」を求めていたという事ではないのか?
というか俺の「慣れ」とか「思い込み」の中で味噌ラーメンというのは「ある一定量インパクトがあるもの」という位置づけだったのかもしれない。
で、なんで今までそれに気付かなかったか?というと当然「一定量インパクト」が自分にとっての「普通」になっていたから「それがないもの」に出会って初めてわかったということだな。
インパクトはなくても「元祖」の味にある奥の深さとか「最近の味」と言われる物が「どの部分を極端にエスカレートさせたものなのか」とか。
そういうことを考えて初めて「シンプルでオーソドックスが一番」と思えたんじゃないか。
そうやって他の事も考えると、歳をとって「気に入ってる味」って「奇をてらった」じゃなくて「別になんてことない」ってのばっかりだ。
でも、シンプルな方が感動はデカイし、ひとくち食べてインパクトのある味とジワリとくるオーソドックな味、ホントの意味で「クセになる」は後者だと思う。結局「通っちゃう店」はそういう味だ。
で、さっき「歳をとって」とは書いたけど、この「嗜好」は最近になってか?と考えてみたら。
「音楽」に関しては、ズーッ昔。それこそ高校生の頃からそうだったんだと気付いた。
まぁ「さもありなん」な話なんだけど、ラーメンにはいろいろ考えさせられるものがありますね。
「好き」とか「美味しい」だけじゃなくて「おもしろい」んだよな〜ラーメン。