クメニオク

昨日に引き続き「目にした記事ネタ」で。
いや、それにしても「久米宏2億円寄付」はスゴイデスネ〜
いろんな企業が十何億ってのもありましたけど、個人で2億だもんなぁ。
まぁ、これは極端な例だとしても寄付とか募金ってそういうもんだと思うのです。
もちろん「自分に出来ること」って気持ちは良いと思うのですが、たとえば俺たちがチャリティーみたいなライブをやって微々たる金額を寄付したところで・・・自己満足っていうか。
とある、阪神大震災で被害にあった人が当時を思い起こして書いてるブログを目にしたのですが「何にハラが立ったか?」という部分で
軽い気持ちでやってきた「自分探し」みたいなニュアンスのボランティア連中
というのがあって、その人達の「感謝されたい態度」というのに腹が立ったと。
被災者に対する「かわいそう」ってのが屈辱的だったと。
なんかね、微々たる金額の寄付なんてこれと同じような気がするんですよね。
もちろん「塵も積もれば」ってのはあるけど、受け取る側よりも寄付する側が満足してるってのは大きいと思う。
これは、ツイッターで見たのか忘れてしまったけど「今、小額の寄付をするぐらいなら復興した時に東北に来て、そのお金で東北地方の名物を味わったり楽しんだりして欲しい。そっちの方がずっとウレシイ」みたいな事を言ってる被災者のコメントを読んだけど、現地の人が思ってることはそういうことなんだろう。
なんとな〜く、大変なことが起きて。日本中の人が「今、自分にできること」ばっかり言うけど。
「今は何もしない」っていうのも手だと思う。
少なくとも俺には出来ることはないと思ってる。普通に邪魔だけしないようにしてるのが一番だと思う。
こんな文章も目にした。
「私達は他人の幸せや喜びをねたむほど落ちぶれてはいない。皆さんどうぞ我慢せず楽しい時は笑い嬉しい時は喜んでください。私達も一日も早く皆さんに追いつきます」
それから、こんなのも。
「被災者は被災地で戦っている。今、日本の経済は、被災しなかった人たちにかかっている。それぞれの場所でがんばってください」
こういった文章を読んでると自己満足ではない「自分のすべきこと」が見えてくるような気がする。
ま、少なくとも「カンパしてきた!」とか言うべきではないな。
「自分が役に立った気になる」ほど厄介なものはなかろう。
「小銭程度なら」なおさら。むしろ「馬鹿にしてる」だよね。
それにしても「2億ドーン!」はスゴイ。